古都奈良の和カフェあじさい堂花暦
その日、実家のお風呂の湯舟に浸かりながら私は昼間のことを考えていた。
(結局、佐保ちゃんに何も言ってあげられなかったな……。せっかく私に相談に来てくれたのに)
は家に帰ってからもなかなか奈月ちゃんのことが頭から離れなかった。
お風呂に入り湯舟に浸かっていると、昼間聞いた佐保ちゃんの話に促されるように、ぽつぽつと、いくつかの記憶が蘇ってきた。
「ほら、あの人よ。この間、品川店から来た……」
「ええ? 飛ばされてきたっていうあの子?」
「そうよ。外商部のお客さんと……アレで、ね?」
「うっそー。そんな風に見えないけどー」
「ああいう虫も殺さないようなのが一番タチ悪いのよ」
「言えてるかもー」
ヒソヒソとした囁き声に重なる、クスクスと言う笑い声。
退職までの二ヶ月。私はずっとそういう声に囲まれながら仕事をしていた。
耐えきれなくなって書いた退職願を見た上司は、止めるどころかあからさまにほっとした顔をしていた。厄介払いが出来たと思ったのだろう。
それでもお義理のようにかけられた送別会の誘いの声を私はにべもなく断った。
そのことでまた悪口を言われたが、もうどうでも良かった。
丸菱百貨店の外商部で働いていた私が、見知らぬ女性にいきなり頬を叩かれたのは今から五か月前の四月の半ばのことだった。
同期にイベントの手伝いを頼まれて、催事場で配送伝票の受付をしていた私は目の前に立った女性に、
「須藤悠花さん?」
と声をかけられた。
顧客の誰かだと思い、慌てて立ち上がり、
「はい。お世話になっております」
と笑いかけようとした途端、その衝撃はやってきた。
バチン、という音と同時に右の頬がカッと熱くなった。
「え……っ」
何が起こったか分からずに呆然としていると、続けて目の前のテーブルの上のものをかたっぱしから投げつけられた。
ボールペンが胸のあたりに当たって落ち、配送伝票とそれを入れていたトレーが引っ繰り返されて宙を舞う。
「あんたみたいな女にうちの家庭をめちゃくちゃにされてたまるもんですか!」
手近なものをすべて投げつけ終わった女がテーブルごしにつかみかかってきたのは覚えている。
白いブラウス越しに食い込んだ爪が鮮やかなローズピンクだったことも。
けれど、そのあといったい何がどうなったのかはあまり記憶にない。
(結局、佐保ちゃんに何も言ってあげられなかったな……。せっかく私に相談に来てくれたのに)
は家に帰ってからもなかなか奈月ちゃんのことが頭から離れなかった。
お風呂に入り湯舟に浸かっていると、昼間聞いた佐保ちゃんの話に促されるように、ぽつぽつと、いくつかの記憶が蘇ってきた。
「ほら、あの人よ。この間、品川店から来た……」
「ええ? 飛ばされてきたっていうあの子?」
「そうよ。外商部のお客さんと……アレで、ね?」
「うっそー。そんな風に見えないけどー」
「ああいう虫も殺さないようなのが一番タチ悪いのよ」
「言えてるかもー」
ヒソヒソとした囁き声に重なる、クスクスと言う笑い声。
退職までの二ヶ月。私はずっとそういう声に囲まれながら仕事をしていた。
耐えきれなくなって書いた退職願を見た上司は、止めるどころかあからさまにほっとした顔をしていた。厄介払いが出来たと思ったのだろう。
それでもお義理のようにかけられた送別会の誘いの声を私はにべもなく断った。
そのことでまた悪口を言われたが、もうどうでも良かった。
丸菱百貨店の外商部で働いていた私が、見知らぬ女性にいきなり頬を叩かれたのは今から五か月前の四月の半ばのことだった。
同期にイベントの手伝いを頼まれて、催事場で配送伝票の受付をしていた私は目の前に立った女性に、
「須藤悠花さん?」
と声をかけられた。
顧客の誰かだと思い、慌てて立ち上がり、
「はい。お世話になっております」
と笑いかけようとした途端、その衝撃はやってきた。
バチン、という音と同時に右の頬がカッと熱くなった。
「え……っ」
何が起こったか分からずに呆然としていると、続けて目の前のテーブルの上のものをかたっぱしから投げつけられた。
ボールペンが胸のあたりに当たって落ち、配送伝票とそれを入れていたトレーが引っ繰り返されて宙を舞う。
「あんたみたいな女にうちの家庭をめちゃくちゃにされてたまるもんですか!」
手近なものをすべて投げつけ終わった女がテーブルごしにつかみかかってきたのは覚えている。
白いブラウス越しに食い込んだ爪が鮮やかなローズピンクだったことも。
けれど、そのあといったい何がどうなったのかはあまり記憶にない。