透明な檻の魚たち
 児童書のコーナーで、目当ての本に手を伸ばす。棚から半分ほど抜き出したところで、

「先生!」

 と、昼間のショッピングモールには似つかわしくない敬称がうしろから響いた。やっと聞き慣れてきた、涼やかなよく通る声。少年ぽさの残るアクセント。

 手をとめて振り向くと、そこにはやはり、一条くんがいた。

「あ、良かった、やっぱり先生だ。人違いだったらどうしようかと思いました」

 制服姿とさほど印象が変わらない、かっちりとした服装。黒のジーンズに白シャツ、グレイのセーター。黒のムートンジャケット。家庭教師のアルバイトに行く大学生のようだ。

「……一条くん。こんなところで会うなんて、偶然ね」

 私は心底驚いて、そう言った。

「僕はこの本屋、よく来るんですよ。学校からも家からも近いから、休日はだいたい毎週来ているかもしれません」
「私もよ。だったら、今までもすれ違っていたかもしれないわね。お互い気付かなかっただけで」
「はい。遠目で見たときは大学生かと思って、一瞬分かりませんでした。先生、私服姿だと若く見えますね」

 どうせ人と会うわけじゃないんだし、と、今日の私は気の抜けた恰好をしていた。ゆるくパーマをかけた髪はサイドでシュシュでまとめ、細見のパンツにロングカーディガン。メイクこそ軽くしているものの、完全に部屋着と一緒だ。

 こんなところで生徒に――しかも一条くんに会うなんて。こんなだらけた恰好を見られるなんて。私は今朝の自分を激しく呪いたくなった。
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