神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
*
鼓が空間を震わせるのを合図に、月明かりの下、白き“神獣”が舞い始める。
黒き“神獣”が奏でる笙の音は、夜風を取り込み、流れていく。
咲耶の隣、赤き“神獣”のつややかな声音が、奏者と舞い手に敬意を払うように静かに解説をくれた。
「『つまごい』は『妻乞い』とも『妻恋い』とも書くの」
左手が陰、女性を示し、右手が陽、男性を示す。同時に、それぞれ月と太陽を表してもいるという。
「分かたれた魂の片割れを月夜に乞いて、空虚な胸のうちを満たしたまえ──これが冒頭部分の意訳ね」
指先から手首へ。腕から背中へ。
半身をひるがえすと、白い絹衣の袂が風をはらむ。
雅やかな曲調は、よりいっそう舞い手である美貌の青年を引き立てていた。
(あの時と、同じだ)
清らかで冷たい水に触れた時のような、畏れをいだく感覚と。それでも心を奪われて、時が立つのも忘れ、見入ってしまう感覚。
月も風も、夜気も。人も獣も、神でさえ──そのすべてを支配し得る、舞い姿。
(あ……)
「あら」
咲耶の心臓が跳ねたのと、ほぼ同時に茜が声をあげた。
糸をつむぐように繊細に動く指先が交差し、上げられた片方のそで口が美しき面を隠す、ほんのわずかな間。
青みを帯びた黒い瞳が、咲耶を捕らえたのだ。冷たい色を為すはずの眼に、熱情を宿して。
まるで、咲耶にしか伝わらない暗号のような、かすかな微笑。
気づく者も少なかろうが、隣の席にいる目ざとい青年には違ったらしい。
「あの子、あんな顔するようになったのね」
ふふっと笑い、こちらに視線を寄越す茜に、咲耶はあわててうつむいた。
ふたりだけの秘め事をのぞかれたような気がして、急に居心地が悪くなってしまう。
「えっと……あの……あ、美穂さん、箏なんて楽器、弾けるんですね、すごいな。私なんて、ホントなんにも取り柄がなくて……!」
話題を変えようと早口で言った咲耶に、茜は一瞬つまらなそうな表情を浮かべた。
おそらく、咲耶と和彰のことを酒の肴にしたかったのだろう。
無言で咲耶に酌を求めると、ため息をひとつこぼしたのち、咲耶の無理やりな話題転換に付き合いだす。