蜜月は始まらない
大きな手のひらに包まれた手首が、じわりと熱を帯びていく。

心臓が胸の内で激しく暴れ回るせいで、眩暈を起こしてしまいそうだ。



「……悪い。なんでもない」



錫也くんがそうつぶやいたかと思うと、呆気ないほど簡単に拘束は解けた。



「そ、そっか」



もう触れられていないのに、左手首が熱い。

それどころか、身体全体も。

私は必死に平静を装って答えてから、今度こそ立ち上がる。



「錫也くんは、もうしばらくゆっくりしててね」



ほとんど言い逃げのように踵を返し、リビングをあとにした。

自室に入ってドアを閉めてしまえば、自然と詰めていた息を大きく吐き出す。

……びっくり、した。

彼があんなふうに触れてきたのは、同居を始めた初日の夜、諭すように優しく頭を撫でられて以来だ。

つい先ほど、錫也くんの大きな手に包まれた左の手首に視線を落とす。

反対の指先でそこをなぞりながら、早鐘を打つ鼓動を鎮めるように下唇を噛みしめていた。
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