水の踊り子と幸せのピエロ~不器用な彼の寵愛~
「あに、き……かえるよ……」
「……え?」
「……ね、の……おんぶ……は、おれ……が……する」

 『兄貴』『帰る』『おんぶ』の三単語は、はっきりと聞こえた。それ以外はむにゃむにゃと言われてしまい分からなかったのだが、波音の心臓を跳ねさせるには十分だった。

(兄貴って……? おんぶって……?)

 碧は単身でこの国にやってきて、それよりも前の記憶がないはずだ。皇族に迎えられて、義理の兄ができたのかもしれない。

 しかし、それよりも突如として波音の頭を占めたのは、大和と碧と波音の三人で遊んでいた映像だった。

 あの頃、碧は大和を兄貴と呼んでいたし、夕方になると波音を背負って帰ってくれたのは、大抵碧の方だった。

(ちょっと待って。碧さんはいつ、ここに来たって言った?)

 なぜ、今まで失念していたのだろうか。『碧兄ちゃん』が亡くなったのは高校三年生、十八歳の時。碧は同じ歳の時に、名前と年齢以外の記憶を無くして、この国の海岸に打ち上げられた。

 波音は渚の言葉を思い出す。それらは同じ、十年前の出来事だ。

「……時期が重なってる」

 とある仮説が波音の頭を過ぎり、心臓が嫌な音を立てる。碧の顔を、波音はもう一度じっくりと観察した。

 あの『碧兄ちゃん』が十年経って二十八歳になっていたとしても、やはりこの顔にはなり得ないだろう。根本的な造形が違う。
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