覚悟はいいですか

定時より３０分ほど残業してしまったが、待ち合わせにはまだ１時間半ある

オフィスは冷房が効いているが、今日もいろいろな部署に行ったり来たりしてたから、汗をかいたし、薄いメイクは崩壊してるだろう
このままで会いたくない・・・ほら、だってそこはやっぱり社会人の身だしなみとして、
スッピンで食事とかありえないし、うん、そういうこと！
だからって、普段からフルメイクのお直しセットは持ち歩いてないし・・・

私は迷った末にとある老舗デパートへ向かう
待ち合わせのライオン像はこの老舗デパートのシンボル。正面玄関に鎮座しているから、買い物してても時間になればすぐ行けるし。
化粧品売場（もちろんAthena）へ行き、口紅を選んでもらう。サービスで軽くお化粧直しをしてくれた
自分でももちろんできるけど、今日ばかりはプロに委ねることにした
それから化粧室に行って、書籍コーナーをまわったけど、何となく落ち着かなくてまた化粧室へ行ったりして・・・

待ち合わせの１５分前ーーー
そろそろかなと観念して、おそるおそる１階の正面口をのぞくと、息が止まった

もう太陽は沈み残照が地表近くを紅く天上は紫に染め上げていて、人も建物も影絵のように黒くシルエットだけが浮かび上がる、その中にひときわ目を引く礼の姿があった

三つ揃えの上着を脱ぎ、片手で引っ掛けてるように持って肩にかけ、もう片方はポケットに差し込んでいる。ライオン像に軽く寄りかかり、長い足を組みながらやや俯いている小さな頭部。顔にかかるウェーブした前髪をそのままに伏せた目元を長いまつ毛が縁取って・・・
見ているだけでぎゅうっと胸が締め付けられる光景だった
切ない晩夏のポートレートみたいで、わけもなく涙がこぼれそうになり慌てて瞬きしながら反対の出口へ向かった

呼吸を整え今来たような顔をして、外から正面のライオン像へ行くと、やっぱり衆目を集めている
ちらちらと通りすがりのOLだけでなく、妙齢の奥様方まで振り返って盗み見ているから、ほんと罪だよね・・・

さて、どう声をかけるべきかと悩んでいると、私に気づいた礼が美麗な微笑みを浮かべ、前髪を搔き上げる

・・・結果、彼に目を奪われた人が立ち止まり、その周囲一帯で、衝突事故が多発してしまった

ちょうど綾乃さんたちが到着し、私達３人は顔を見合わせてため息をつく
玉突き事故の原因となった本人は、全く気にすることなくするすると人波を避けて近くに来ると、首を傾げ、
「どうしたんですか？」
と無邪気に聞いてくる

さらなる被害を確信した私たちは早々にその場を立ち去る
なるべく人の少ない通りを選びながら綾乃さんお気に入りのイタリアンへと急いだ