MちゃんとS上司の恋模様



 視線を逸らして後ずさったのだが、主任は一歩踏み出し私が離れることを拒む。
 口を開いて声に出そうとするのだけど、何を言っていいのかわからない。
 そんな私は、ただただ固まり続けるだけだ。

 石のように動かない私の耳元で、再び須賀主任が囁いた。その声は、とても低くて悪巧みが成功したと喜んでいるようだ。

「こういうとき、上司命令が使えていいよな」
「っ! そ、それは……職権乱用かと思いますけど!」

 声が震える。
 怯えているのではない。ただ、恥ずかしくて居たたまれなくて、胸がドキドキするのだ。

 そのあと主任の声を待っていたのだが、それ以上は何も言うことなく私から離れてしまった。
 そのことになぜかガッカリしてしまう。

(ちょ、ちょっと! 私ってば何をガッカリしているのよ)

 相手は本社から刺客として送られてきた鬼軍曹。肉食系フェロモンダダ漏れで、S属性だと思われる男だ。
 今までS属性の男に振り回されることが多かったので、はっきり言って須賀主任の最初の印象は最悪である。

 ただ、この二週間を経て、彼の印象はと聞かれると……答えに困る。
 危険人物であることは間違いないはず。だけど、それだけじゃない、何かを感じるのだ。

「ほら、さっさと帰るぞ」
「ま、待ってくださいよ!」

 慌ててカバンを引っ掴み、営業一課のオフィスを出る。
 すでに人もまばらなロビーを抜け、N支社ビルから外に出ると雨がパラパラと降り始めていた。

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