やさしく包むエメラルド

入ってくる風が、あまりに強くなったので窓を閉めると、同じように啓一郎さんも窓を閉めた。

「この辺、海近いから風強いんだ」

「海? どこ?」

「この家の向こうはすぐ海だよ。直線だと300mないくらい」

目を凝らしてみても、建ち並ぶ家々の間から青い色は見えなかった。

「すぐそこ海水浴場だけど、行ってみる?」

「行く!」

家と家の間にある、細い路地を車は下っていった。


こんな景色、初めて見た。
ああ、そうだ。
海の色も空の色も、太陽光の反射か何かなんだっけ?
小さい頃は、すくってもすくっても青くならない海の水を、不思議に思っていた。
太陽光の話は、今でもやっぱり理解できない。
だって今、空も海も、虹にはない色をしていた。
一面のプラチナ色。
今日の夕陽は赤くなく、白っぽいやわらかな色をして水平線の近くに浮いていた。
空の青みは薄く、艶消しされたプラチナのような雲が、水平線に向かって流れるラインを描く。
海もそれに呼応して同じ色に染まり、銀糸で編まれたアンティークレースのように繊細な波が、それを幾重にも縁取っている。

「………………きれい」

「うん」

晩夏の日暮れも近い海水浴場には、わたしたち以外はたくさんの海鳥しかいない。
暑くもなく寒くもなく、けれど塩分を多く含んだベタベタとした風が、ゆるやかにずっと吹き続けている。
あまりに幻想的で、現実感が薄くて、ここが黄泉の世界だと言われたら信じてしまいそう。

コンクリートで固められた駐車スペースと砂浜の間には、そこそこの高さがあり、足場のつもりなのか太い丸太が無造作に置かれていた。
勢いよく啓一郎さんが丸太を渡ると、それは不安定にゴロゴロ揺れた。
丸太に片足を乗せて、思い切って飛び降りた方が安全だろうかと思案に暮れていると、視界の端に大きな手が入ってきた。
王子様のようにスマートなものではなく、したたるほどの照れを含んだ啓一郎さんの手。

「ありがとうございます」

ぎゅうっと握ったそれは、あたたかかった。
その胸に飛び込むようにして、グラグラ揺れる丸太を一気に駆け降りる。
手はすぐに離されてしまった。
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