やさしく包むエメラルド


パンをかじり身支度を整えると、わたしはさっそく宮前家を訪問した。
庭はブロック塀に囲まれていて、普通に通りを歩いていると庭木の頭頂部程度しか見えない。
あの庭を堪能できるのはごく限られた人だけで、わたしもその限られたひとりなのだとほくそ笑む。

門を通って庇の下に入ると急にひやっとする。
盛夏が近いこの時期でも日陰は涼しく、風がよく通る地域なのだ。

ふぃんふぉーん。
ボタンを押すと、やわらかな音色のチャイムが、重そうな扉の向こうで響いた。
少しして「はい」と、さらに重そうな返事が聞こえる。
待ってみても反応がないので、そろそろとドアを引いた。

「こんにちはー」

広いたたきの向こうに、“彼”が立っていた。

「あの、えーと、隣のアパートに住む片桐小花と申します」

無表情と沈黙で先を促す彼に、とにかく言葉で間を繋ごうともがく。

「ゴミ収集所の掃除って結構大変ですよね。わたし、平日は仕事だからなかなか難しくって。夜でよければやるんですけど、広げっぱなしだと邪魔だし」

一向に反応がないので、仕方なく自分でうんうんとうなずいた。

「あ、それでですね、こちらのお母様がいつも代わりにやってくださってて、それでこれ……」

プリンの入った紙箱を差し出したが、

「母はいま留守です」

カコンと小気味いい音がしそうなほど話をぶったぎられた。
初めてまともに聞いた声は相変わらずもごもごしていたけれど、玄関の反響もあってよく通った。
思わずポカンと口を開けたわたしに、彼はスリッパをすすめてくる。

「すぐ戻るはずなのでどうぞ」

薄いピンク色のスリッパひとつ残して、自分は素足でぺたぺたと廊下を行ってしまった。
そのインディゴブルーのシャツがどこかの部屋に消えるのを、口を半開きにしたまま見送る。

「いや、それならまたあとで来るし」

つぶやきは艶やかな廊下に虚しく消え、わたしは仕方なくスリッパを履いて奥へと踏み出した。

「お邪魔しまーす」


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