幼なじみの甘い牙に差し押さえられました
「私も…?」
こんな私でも誰かの助けになれていると思うと、初めて自分が自分の存在を許せるような気がした。山下さんみたいに言葉に出来れば良いのに、涙が零れるばかりで何も言えない。
「これをお前に渡しとこうと思って」
「何ですか?」
山下さんに小さな紙を手渡される。
“山下紡績産業株式会社
代表取締役社長 山下 糸
ito@xxxxx.co.jp
facenoteid:xxxx
xxx-xxxx-xxxx”
「新しい俺の名刺。会社辞めてこっちに戻る事にしたから」
「え…!?そうなんですか?」
「ここの仕事も増えたし、親父だけじゃキツイからな」
「でも、山下さん前にやりたくないって言ってたのに…。山下さんが犠牲になるのは」
アンルージュがこの工場を救っても、そのせいで山下さんが好きな仕事をやめなきゃならないなら喜んでいられない。
「そんな顔するなよ。前はこんな零細企業に将来なんか無いと思ってたけど、自分次第で面白い仕事もできるってわかったし。
現にアンルージュのブランディングは権限委譲してもらったから、これからも俺がやれんだよ。
こういう働き方もアリだなって思えたのは確実にお前のおかげだな」
はにかむように笑う山下さんと社長の名刺を見比べる。子供の頃想像していた「社長さん」とはずいぶん違っていた。
「山下さんの名前…『いと』って読むんですか?」
「そう、紡績業の長男で糸。家業に縛られててだせぇだろ?だから嫌なんだよ」
笑う山下さんの表情で、その言葉は照れ隠しなんだとわかった。名前が嫌いだと言っていたのはもう過去のことなのかもしれない。
「そんな事ないですよ。縛る糸じゃなくて、〝繋ぐ〟って感じしますもん。
名前、似合ってますよ」
「そーか?」
苦笑いの山下さんの向こうには眩しい程の夕焼け空が広がっていた。ここに来た時は、うつむいて空の色も見えていなかったのに。