私は強くない
「昼から頼むぞ?倉橋。個人指導頼むよ」

にっ、と笑った蒼井に眩暈を起こしそうになった。
昼から指導。
出来るの?私に。

テーブルに置いた手を握られそうになり、慌てて手を引っ込めた。

「な、なに?」

「いや、相変わらず手が、ちっせーなと思ってさ。懐かしくてさ…」

「あ、同期なんですよね?倉橋課長と蒼井係長って、だから仲がいいんですね!」

何も知らない橋本君が話をしてきた。
それ以上言っちゃダメ。

「そりゃ、仲がいいってもんじゃすまないよな?な、倉橋」

目を見て話しかける蒼井。
なんで、そんなに自信があるのよ、この人って。
けど、橋本君も私が圭輔さんと付き合ってるの知ってるし、何も疑っていないようだった。ただの仲のいい同期としか思ってないみたい。
それだけが救いかもしれない、そう思った。

ドン

「……ここいいか?」

「え?」

顔を上げると、日替わりランチをテーブルに激しく置いた、圭輔さんが立っていた。

「な、名取部長。ど、どうぞ」

た、助かった。
私は慌てて、横の椅子に移った。
蒼井の前に圭輔さんが座る形になった。
少し機嫌の悪い圭輔さんは、蒼井に話をしながら、死角で見えなくなっているのをいい事に、私が膝の上に置いた手をギュッと握ってくれた。

それだけでどれだけ安心できたか。
やっぱり、圭輔さん、だと。

「仕事はどうだ?蒼井、早く倉橋課長を営業部に戻してくれよ?」

「いや、慣れるのか心配ですよ。営業部と全然違いますからね。けど、倉橋にみっちり教えてもらいます」

「……そうだな」

平然と話をしているようだけど、明らかに機嫌は悪いな、と感じた。
橋本君も何かを感じ取ったみたいで、食事の終わった蒼井を、人事部に連れて行こうと、画策してくれた。

部下に恵まれて私は幸せだ。
美波がいない今、頼りになるのは美波の同期の橋本君だ。

「蒼井係長、さっき部長が探してましたよ。書類抜けてるらしいです、怒られる前に行きましょう」

蒼井は首をかしげながら、席を立った。

「じゃ、後で待ってますね。倉橋課長!」

それだけ言うと、人事部に戻って行った。

「…圭輔さん、ありがとう。ごめんなさい」

「……なんで、謝るんだ?これぐらいしか出来なくて俺が謝りたいよ。大丈夫か?橋本がいてくれて助かったよ」

「本当に。それより、今日話があるの、帰ったら聞いてもらってもいい?」

「あ?分かった。後は大丈夫か?何かあったら、言えよ?分かったな?」

「はい。大丈夫です」

今日、圭輔さんにお願いしよう。
私には、蒼井一人に立ち向かえる訳がない、そう思った。
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