結婚願望のない男
目的のフロアに着いてから、私は島崎くんを軽くひっぱって給湯室に連れ込んだ。
「品田さん?」
「島崎くん…。私、返事するのを逃げ続けて、きっとたくさん島崎くんを傷つけたよね…。ごめんなさい…。本当に、ごめん」
島崎くんは少し不思議そうな顔で私を見ていたけれど、ふっと笑って頭をぽんぽんしてきた。
「あ、だからそれ…!島崎くんはよく”頭ぽんぽん”ってするけど、そういうのずるいから…!女慣れしてるのバレバレなんだから…!」
「だって品田さんが泣きそうな顔するから。僕は品田さんにそんな顔をしてほしくないから身を引こうとしてるんですよ?ていうか、むしろ泣きたいの僕なんですけど…」
「う…」
「あはは、冗談ですって。笑ってくださいよ。今の品田さんは幸せいっぱい笑顔いっぱいじゃなきゃおかしいでしょ?」
「……わ、わかった…。二人きりかどうかは別として、本気でいい肉、奢るよ…」
「銀座にある神戸牛サーロインステーキの店でお願いしますね!」
「ちょ、ちょっと!さりげに値段釣りあげてないっ!?」
私は思わず笑顔になってしまった。島崎くんも、そうそうその顔、と言わんばかりに笑みを浮かべた。
私が変なふうに気を遣ったら、かえって島崎くんもやりにくいはずだ。私はいつも通り、そして堂々と、幸せな顔をしていたほうがいいのかもしれない。
ただ…。
浮かれてばかりもいられない。
島崎くんの言うように、ちゃんと山神さんと話をしないといけない。
私は山神さんに聞いておかなければいけないことがある。
デスクに戻り、自販機で買った冷たいお茶を飲んでしばし休憩していると、「品田、島崎、ちょっと」と、課長に呼ばれた。
「は、はい」
ここしばらくは課長に怒られていないし、怒られるような心当たりもないけれど、彼に呼ばれるとやっぱり緊張してしまう。島崎くんはそんな私に気を遣って、私と課長の間に立ってくれた。
「なんでしょう、課長」と島崎くんが聞くと、課長はにこっと笑って「よくやったな!」と大きな声で言った。
「はい?」
「今日の報告会、成功だったみたいだな。営業の小高に聞いたんだが、ワタナベ食品はいくつかのマーケティング会社を格付けしていたとか。それで、報告会での評価がすごく良くて…今後も積極的に取引を発注したいと、終わってすぐに言ってきたそうだ」
「!本当ですか?」
私と島崎くんは思わず顔を見合わせた。
「小高は大喜びだったぞ。ちなみに、連絡をくれたのは商品開発部の山神という人だそうだ。彼が開発に携わった商品がいくつかあるらしいから、他の商品の案件でもぜひ頼みたいと。あとマーケティング部の香川さん?も、小高にお礼の電話をくれていたようだ。品田・島崎ペアは良いコンビだったって」
(山神さん…。香川さんも…)
また、山神さんに助けられてしまった。
何はともあれ、波乱はあったけれどこの案件は大成功に終わったみたいだ。本当に、よかった。
「品田はミスが多いから大丈夫かと心配していたが、今回はよくやったな」
いつもは私に笑顔などほとんど見せない課長も、今回ばかりは嬉しそうだった。これで少しは課長を見返すことができただろうか。
「課長、今回僕はジョブを抱えすぎてパンクしてた時期がありました。そんなときに品田さんがフォローしてくれてうまくいったんです。品田さんのお手柄ですよ」と島崎くんもさりげなく私を立ててくれる。
「そんなこと…!島崎くんも一人でかなり頑張ってくれましたし、後半は私が手を出すこともほとんどなくて…」
譲り合う私たちに、「とにかく、ペアが良かったと言われたんだ、素直に二人で喜んでおけ」と課長は言った。
私と島崎くんは、顔を見合わせる。島崎くんがいたずらっぽく笑ってガッツポーズをしたから、私も真似をしてガッツポーズをした。
私はその日の夕方、デスクでメールを打ち始めた。
『今日、この案件が大成功に終わったこと、課長に褒められました。とくに山神さんがうちの営業に色々話をしてくれたんですよね?本当にありがとうございました。
お礼をしたいので、近いうちまた『さぼてん』でコーヒーでもどうですか?いつかのタクシー代、お返しできてなかったので次は私が奢ります』
山神さんからの返事は、その日のうちに来た。