恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
 海外生活が長いと、ジェスチャーも海外仕込みになるみたい。ママが、肩をすくめてウインクした。

「よく肝に銘じます」
 笑顔の院長が、まっすぐな瞳で、画面のママをしっかりと見つめている。

「ママ」
「幸せな人が、なんて顔してるの、笑った顔を見せて」

「私だけ幸せになっていいの?」

「もうママ離れしてね。これからは、明彦くんに、くっついてちょうだい」
 ママったら、本当に女の子みたいな可愛らしい声で笑う。

「ママ」

「ママはね、いつかパパのところに行ったら、楽しい話をいっぱい聞かせてあげたいから、楽しんで生きるって決めてるの」

 集中治療室の前で、つんざくような叫び声を上げて取り乱しながら号泣したママが、今では、お父さんの死を乗り越えて、生きる喜びと楽しみを見つけている。

「だからママに構わず、あなたたちは、あなたたちの幸せを見つけてね」

「僕が毬さんを必ず幸せにします」
 私も幸せになる、辛さや哀しみを忘れさせてくれる院長と二人で。

「毬の表情が、ここ最近、どんどん明るくなっていったのは明彦くんのおかげ。毬は今でも十分幸せだから、引き続きよろしくね。負けん気が強いけど」

 思わず院長が吹き出した。

「笑ったってことは、明彦くんも思ってるのね、毬は負けん気が強い。私には負けん気の強さしか見せないけど、明彦くんには甘えてるみたいだから安心してるの」

 院長の横顔を見ていたら、愛しくて笑顔が抑えきれなくて溢れ出す。

「大事なひとり娘だから、心配させてほしいんだけど、とにかく母親にも気を遣うのよ」

 ママの嘆きに、院長が私の方に上体を向けて説いてくる。

「好きだから、大切だからこそ心配するんだ。心配させたくないって気を遣うと、よけいに心配させる、わかる?」

 院長の口調が、動物に話しかけるように柔らかい。

「さすが明彦くん、いいこと言う、ありがとう」
「どういたしまして」

 院長の爽やかな低い声が、微笑みといっしょに返事をした。

「ママママって、言われなくなると寂しいでしょ。ねえ、本当は寂しいんでしょ?」
「ぜんぜん」

 あまりにも、あっけらかんだから寂しいな。少しくらいは、寂しがってくれてもいいんじゃない?

「パパは、ママのかけがえのない存在、生き甲斐。仕事もママにとっては、生き甲斐なの。ブダペストに来てから、特に実感してる」

 充実しているママの顔には、寂しさはなく、たしかにいつも晴々していて楽しそう。

「それまで収入を、お父さんに依存していたときとは、見える景色が違う。それは生きる自信につながってるの」

 自分の足で地を歩き、自分の翼で空を羽ばたいているママが、かっこよくて誇りに思う。
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