極上ショコラ〜恋愛小説家の密やかな盲愛〜
「……もっと早く来い」

「すみません」


理不尽さを感じながらも謝ったのは、それが的確な判断だと思ったから。


「八時頃には来ると思ってたんだぞ。それなのに、もう九時過ぎてる」


メールを返さなかったくせに、という言葉は飲み込む。


「きっと原稿に追われているだろうと思ったので、あまり早く伺わない方がいいかと考えたんですけど……」

「そんなもの、とっくに上がってる」

「そうだったんですか」

「なんだよ? それを取りに来たんじゃないのか?」


篠原が怪訝な顔を見せながら、長い足を二、三歩進めて私のもとに来た。


優雅な仕種に、胸の奥が小さく鳴る。
こんな些細なことですら私の心を掴む彼は、とてもずるい人だと思う。


ほんの数歩、歩み寄る。

たったそれだけの行動で心を掴む人を、私は篠原以外に知らない。
それが彼との関係から生まれる欲目だとしても、私にとっては今感じていることがすべてなのだ。


「……原稿じゃないなら、なんの用件で来たんだよ?」

「え?」

「お前のことだから、ただ恋人の家に遊びに来た、ってことはないだろ」


どことなく不満げな言い方に引っかかりながらも、本来の目的を忘れてしまいそうだったことに気づいた。

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