王子様とブーランジェール
その後、怒り疲れて力尽きて、しばらくその場に倒れ込んだままでいる。
そのうちお母さんが『おまえ何やってんの』と、奥のリビングから現れた。
『里桜とかなりケンカしてたな。何が原因?まさかおまえがあんなに怒ることが出来るとは、母さん思わなかった』
『………』
見てたんなら、止めてよ。
もう…。
お母さんはそれだけを言い残して『川越さんち行ってくるわー』と、家を出ていった。
毎日お決まりのみんなでナイター観戦飲み会に行った。
『………』
しばらくしてから、ムクッと起き上がる。
何もなかったかのように、店内の掃除を始めた。
それから、翌日には夏輝と里桜ちゃんが別れたという話があっという間に広まる。
さすが、学校一のイケメンの噂は誰にでも話題になった。
前々から夏輝を狙っていた心菜ちゃんが、急に元気になっていて、それが滑稽だった。
私は…元気になるはずがない。
どこか他人事のように思えてしまった。
だって、私には関係ない。
王子様にパンを焼いているだけの下僕には。
あのケンカの翌日、里桜ちゃんがお店に来た。
秋緒たちがいるにも関わらず、中に入ってこようとする。
けど、中には入れない。
ドアから少し顔を出して対応する。
『…桃李ちゃん、ごめんね!昨日は酷いことを言って、ごめん!ごめんね!』
『………』
昨日はあんなに蔑んでいたくせに。
今日は態度をコロッと変えて、ペコペコと謝っている。
(………)
あんた、いったい何したいの。
謝るぐらいなら、最初から言うな。
(………)
また、あの黒い感情が出てきそうになる。
箱が…開きかける。
ダメ。その箱を決して開けてはならない。
『…里桜ちゃん、何のこと?』
『えっ?』
『私、勉強で忙しいから、今日は帰ってね』
『…あ、待って!待って桃李ちゃん!』
無理矢理ドアを閉める。
ドアの向こうでは『開けて!開けて!…ごめんね!』と、里桜ちゃんの声が響いていた。
ドアには鍵をかけ、そこからさっさと離れた。
『桃李、里桜来たんですか?』
奥のテーブルでワークを開いている秋緒が、顔を上げる。
『うん。でも帰ったよ。私、断れるようになった』
『それは成長しましたね』
成長…と、いうか。
必死なんだ。
あの『黒い感情』の箱の蓋を、今後一切、絶対開けてはならない。
でないと、今度、誰を傷付けるかわからない。
恐い…。