政略結婚ですがとろ甘な新婚生活が始まりました
この人はもしかしたら私に気づいていないかもしれない。

今日の私は会社指定の制服を身に着けていないし、叔母との外出のためいつもよりきちんと化粧もしている。眼鏡もかけていないし、髪型だって変えた。

必死に探していた男性が目の前にいるのに、自分に言い訳しかできずにいる。ここが百貨店ではなく、叔母が近くにいなければきちんと謝罪できていたかもしれない。

けれど今は無理だ。

もしこのことが叔母から祖母の耳にでも入ったら一大事だ。ただでさえ、大事な取引先の専務を叩いてしまったのだ。しかもまさかこんな大企業の御曹司を。

事の重大さを今さらながらに思い知る。カタカタと震えそうになる足を必死で踏みとどめる。


「初めまして、梁川 環(やながわ たまき)です。澤井様にはいつもお世話になっております」


そう言ってふわりと妖艶に微笑む。

さらに私の勤務先ではなく、祖母の名字を口にした。それだけで彼が祖母と関係のある人だと簡単に推察できる。

どうしよう、どうしたらいい? 今すぐ謝罪だけをして逃げ出したい。

みっともない真似を晒してしまう前に、ここから離れたい。握手している手をほどこうと必死に試みる。

さほど力が込められているようには見えないのに、彼の手は私の手を握ったまま離れない。握手にしては不自然すぎる。これではまるで手を握りあっているようだ。

「あの、手を」

離してください、そう口にする前に彼が形の良い唇を開く。

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