政略結婚ですがとろ甘な新婚生活が始まりました
「環」


「はい?」


「俺の名前、環って言うんだよ。呼んで」


私の言ったことを聞いていなかったのか、麗しい笑顔を浮かべて言う。

「あの、私の話、聞いていました?」
おずおず問い返すと、嫣然とした笑みを深める。

「ほら早く」 
……会話になっていない。

どうしてこの状況で下の名前を呼ぶ羽目になるのか全く理解できない。

「呼びませんから!」
思わず大声を上げると、口角を上げて長い足であっという間に距離を詰めて、私の顔を覗き込んだ。

「な、何ですか……」
驚いて咄嗟に、後退りをした私は足をもつれさせてしまう。バサッと手にしていたコートとマフラーと共にバッグが床に落ちてしまった。

「危ない」
「あ、ありがとうございます……」

冷静に彼が私の腰を支えて、無様に転ぶのを阻止してくれた。ニット越しに触れる長い指は力強かった。触れられた場所が場所なだけにとても恥ずかしい。何も疚しいことはないのに、鼓動がどんどん速くなって耳に響く。

支えてもらったことは本当にありがたい。でも、近すぎる!

触れることができそうなくらいに近づく彼の頰は陶磁器のように綺麗だ。
伏し目がちの瞳を縁取る長い睫毛に高い鼻梁。欠点の見当たらない完璧な顔立ちが近づく度に私の心拍数をどんどん上げていく。

これまで眞子に紹介された男性の中にも、綺麗な顔立ちの人は何人もいた。
さすが面食いを自称するだけあって、その審美眼に脱帽したくらいだ。だけどそのどんな人にもこんな風に狼狽えたりペースを乱されることはなかった。

ただ美麗な顔立ちをしているな、とか素敵な人だな、と思う程度だった。
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