仮面夫婦~御曹司は愛しい妻を溺愛したい~
「……出来てるけど」
「では五分後に出る」

一希はそう宣言するとタブレットをビジネスバッグに素早く仕舞った。

一刻も早くこの部屋から出たい気持ちが、ありありと伝わって来る。

(あの人に泣き付かれたのかしら?)

ーー美琴さんとホテルになんて泊まらないで!

彼女に悲しそうに訴えられたら、一希は望みを叶えると思う。

逆に、美琴がどう感じるかについては無関心で、驚くくらい平然と無神経な態度をとる。

そんなとき、美琴の心には、解消出来ない苛立ちが生まれ、いつになく攻撃的になっていく。

一希のーーいや、彼の背後に隠れている彼女の望みを邪魔したくなるのだ。

今だってーー。

「待って、ホテルで特別に美味しい朝食を準備してくれるって聞いてるでしょう? 出発はそれを頂いてからにしない? だって後は家に帰るだけなんだから、そんなに急がなくてもいいでしょう?」

一希が不快になると分かっているのに、気づかないふりをして明るく言う。

予想通り、彼は眉をひそめた。
明らかに不満そうな目で美琴を見る。

(怒らせた? でもこれは、私のささやかな抵抗よ……愛も恋もなくても、あなたの妻は私なのだから)


それに、なにもかも一希の言いなりになるつもりはない。

惚れた方が負けと言うように、どうしても美琴が我慢を強いられる面が多いけれど、それでも譲れないこともある。

女として愛されなくても、美琴は一希の家族になったのだから、食事くらいは一緒にとって欲しい。

それだけは、ほかの誰かに邪魔されたくはなかった。
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