あおいぽりばけつ
赤い実が少し、萎んだ。風が吹いて心が波立つ。

八月の頭。日中は暑さで顔が火照るけれど夜は潮風のお陰で幾分マシに思えた。冷房の他人行儀な涼しさが虚しくさせるから、窓を前回にあけて蚊取り線香に頼る日々。

「……あんたぁ、こんな時間にどこ行くんよ」

夕食を終えて家族がテレビに齧り付いているのを横目に玄関へと向かう途中、それに気がついた母が問う。
その声にぎくりと身体が跳ねた。跳ねる心臓を撫で、平静を装う為に大きく息を吐きながら答える。

「ん、……ちょっとね」

ぶっきらぼうに答えながら、下駄箱に備え付けられた鏡を覗き込み前髪を気にしていると母が呆れたように私の手を取る。

「ねぇ、変なんとつるんどるんじゃあ無かろうね」

「そんなんじゃないって」


あの夜、涙でボロボロになった浴衣を見た母は何も言わなかった。そして見るに堪えない程、泣き腫らした私の顔を見て、静かにこう言った。
「早うお風呂入りんさい」
何かを察したような、そんな眼差しで。


「お母さん心配しちょるんよ……夏祭りん時もひどい顔して帰ってきたやないの……こんな不況やのに運良く就職も早う決まってこれからじゃ言うんに」

ぐっ、と力を込められて骨が柔く軋む。真っ直ぐに見つめられてどうしてか目が合わせられない。背中に氷をひたりと押し付けられるような不快感に顔が歪む。

「違うって。ただ……今日帰って来たんよ。やけぇ、お疲れ様って言いに行かにゃならんのよ」

母は何も知らない。
私が花火を背に告げた決別も、私の心を奪った陸の事も、何も。
それでも、それで伝わる。そんな気がした。だって、私の母なのだから。

「九時半までには帰りいよ」

言葉足らずの私を見て、溜息を吐きながら母が言う。
時計は午後八時。小さく頷き私は静かに扉を開けて夏の夜に飛び出した。
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