あおいぽりばけつ
掌に滲む汗と和也に手渡されたペットボトルの水滴を混じらせて、体育館へ戻ると隅っこで一人テーピングを巻き直す陸が目に飛び込んだ。

「……これ」

ぎぎぎと唸る扉を片手で押して声を掛けると、陸は小さく、「まだおったんか」と呟いた。
街中では決して拾えぬ程の小さな声だった。
辺りはしんと静まり返り、虫の音と大きな壁掛け時計の秒針の音が響くだけ。
だからこそ、聞こえたその声に下唇を噛んだ。「……まだいるよ」少し不貞腐れたように言い、近寄る。

ペットボトルをチラリと見て、手を差し出した陸にキャップを開けて渡そうとすると訝しげに私を見て受け取った。

「和也って人が、朝練あるから早く帰りやって」

ついさっき受け取った伝言を呟いて、生温い鉄の扉に頬を当てた。妙に甘ったるい木の床の香りに胸焼けを起こしてしまいそうだ。
勢いよく手渡したドリンクを飲み干す姿、上下する喉仏を見て、頭が煮えたちそうになった。
火照る体をじわりと冷やす無機質な扉。ぼぅっ、と陸を眺めるだけの私を優しく支える。
そんな私を眺めてペットボトルを床に置き、陸がボールを集めだした。

「……そろそろ帰らにゃ親心配するんやないか」

チラリと天井高くに吊られた時計を見て、陸が言う。それと同時に宙へ放たれ、回転して高く上がるボール。ふと、そのボールになりたいと願った。叩かれても、必ず拾いに来てくれる。どこに叩かれても、陸が必ず迎えに来てくれる、そんなボールが心底羨ましいと思った。

「そうかもしれん。それでも、陸に会いたかったんよ。まだ、陸を見てたいんよ」

私の吐息で湿る扉にそっと指を這わせて言えば、また耳を劈く音がした。地面に降り立つその姿が、舞う青黒い髪が、滴る汗が、眩しくて不意に一筋、涙が流れた。

不器用な恋心など、見ない振りをするかのように陸が掌でシューズの底を拭った。垂れた横髪を耳に掛ける仕草に思わず足が動く。

「なぁ……邪魔すんなら帰れや」

肩を軽く押された拍子に、もう片方の瞳から真珠。
汗でぬるりと滑る細い首筋に腕を回して、薄い唇を奪った。

「試合、頑張ってね。……待ってるから」

そう告げて振り返りもせずに駆け出した。

夏の夜。生憎の曇り空。唇を一度抓り陸の香りを胸いっぱいに吸い込んで私は走った。
初めて触れた薄い唇に嬉しくて、跳ねるように、踊るように、まるでミュージカル映画の主人公の様に家へと走った。
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