あおいぽりばけつ
扉の前に立ち、深呼吸。垂れた鼻水を拭いチャイムを鳴らす。扉が開くまで、永遠の様な長さに感じられた。

「……寒かったやろ。晩飯運んでもらったから」

扉を開けてそう言う高柳さんに、借りていた上着を手渡して頷いた。私の顔を見て、驚く事も笑う事もなくてただ優しく微笑み続ける高柳さんにどんな顔をしていいか分からない。下を向きながら部屋に入ると高柳さんが鍵を閉めて私の肩を叩いた。

「先に顔洗う?」

伏し目がちに上着をハンガーにかけて高柳さんが言うから黙って洗面所に転がり込んだ。

鏡を見て笑えた。えらくひどい顔だ。目が腫れて黒い小川が頬に流れている。髪の毛は山姥の様に乱れている。

洗面所に入った瞬間に、部屋に運び込まれた白米の良い香りが私を呼ぶ。化粧を落として冷たい水を顔に叩きつける。髪から滴る水滴が音を立て排水溝へと流れて行った。

部屋に戻ると窓辺に立つ高柳さんが振り向いた。

「今日は空綺麗じゃないし、カーテン閉めよか。景色が綺麗って売りやのに残念やね」

そう言いながらテレビのリモコンに手を伸ばす高柳さん。初めて吐かれたその嘘が、そんなに優しい嘘だなんて。
服のポケットを握り締めて小さく笑った。

「……お腹、空きましたね」

今日の空は、綺麗な空だ。濃紺の空に鋭く輝く三日月と、辺りに散らばる星。雲ひとつない、綺麗な空。
さっきまで砂浜にいた私が知らない訳が無いのに、嘘をついた高柳さん。私はその最初で最後の嘘に、騙されてあげる。

「さ、飯冷えるし早よ食べよ」

そう促されて、座布団に腰を下ろした。目の前に広がるたくさんの料理。立ち上がる湯気越しに見つめる顔が曇って見えるのは、きっと気のせいなんかじゃあないのだろう。
< 53 / 82 >

この作品をシェア

pagetop