あおいぽりばけつ
油とヤニでぬるついた床を小走りに駆け抜けて店を出た。
追い掛けてくれたなら、酒に酔い浮かれて飛び出た言葉だと悪かったと一言謝ってくれたなら……。

「待って……待って待って」

でも外気と雑踏に包まれて数秒、私の手首を掴んだのは望んだ三日月では無かった。
振り返り、がっかりとした顔を浮かべてしまった。それを見て、浅田さんは何か言おうとして止めた。

「雰囲気悪うしてごめん……」

私がそう謝ると、浅田さんが困ったように笑い首を振る。

「……ありゃ陸が悪いわ。じゃけど酔っちょるからやと思うから許してやってや。これ、お金。こう言うんは男が出すもんじゃ」

こめかみを指で掻きながら言われて、眉間に皺を寄せどうにか無理矢理笑って見せる。
手に押し込まれた紙幣がくしゃくしゃになってしまった。

「浅田さん。私、陸と一緒に居ちゃ駄目なんかな」

浅田さんに聞いたって、意味は無い。答えは結局私の中にしかなくて、それはずっと前から分かっているから。

「んん」と小さく呻いて浅田さんが夜空を仰ぐ。少し考える素振りを見せてゆっくりと話し出した。

「俺が知る限り、今まで陸は決まった相手と付き合うなんて事、無かったかな」

何度目だろうか。頭目掛けて鈍器がフルスイング。

「陸とは中学からの仲やけど、特定の女の名前聞いた事無かったなぁ。……でも伊織ちゃんの話は多分、何回か聞いたことはあるんよね」

痛む頭を優しく撫でられた気分になってしまう。

「でも名前は聞いた事無かったし、まぁ所謂セフレがいて、ってレベルの話なんやけど」

まるでDVを受けているような気分に陥ってしまう。感情が忙しなく回転して吐き気を催す。詳しく聞きたいのに踏み込めなくて、もどかしい。

「どんな付き合いして来たか分からんけん、言いきれないけどずっとこのままでええなら一緒におりゃいいと思うよ。じゃけどいずれ……って願うんやったら離れた方がいいんと違うかな」

そこまで言うと店の方から後を追って友人が向かって来た。

「お金!!うちの分も机に置いとるから!!」

浅田さん目掛けてそう吠える友人。面食らった浅田さんが困ったような顔を浮かべて謝った。

「なんぼ置いてきた??返すわ……ごめんな、ほんまに」

浅田さんが財布を取り出そうとしたから、そっと止めた。返されたくしゃくしゃの紙幣をまた浅田さんの掌に返す。
怒り狂う友人をなんとか宥めて、出来る限りの笑顔で浅田さんに伝えた。

「陸にまた、連絡する言うといて」

私を見て、言葉を聞いて何処か哀れむような目で浅田さんは頷いた。
言い足りないと地団駄を踏む友人を引き摺り、繁華街に紛れ込む。

「なぁ!!あんな男のどこがええん」

折角の華金なのに気分を害されたと、飲み直しを提案した友人。入った居酒屋で静かに泣きながら友人がまだ吠える。
枝豆の皮を引きちぎりながら涙を拭く姿は少しばかり滑稽だ。

「どこじゃろうねぇ。ちんこがええんかもねぇ」

友人の話を聞いてやりたいけれど耳朶がじくじくと痛くて気が削がれる。
箸の袋で箸置きを生産しながら私は笑った。

「もぅやめときぃ。あんなクズに夢中になる時間が勿体ないわ」

おしぼりを目頭に押し付けてつけまつ毛をテーブルに移植して友人が机をどん、と叩いた。

「ん、けどずっと好きなんよ。出会いは最悪やったけどね、私が離れれんの。離れたって思ってもまた出会ってしまうし。おかしいよなぁ、あんな言われ方してんのに」

おいおいと泣く友人を眺めていると机の下で携帯が揺れる。
サブディスプレイには最低な発言で友人からの評判ガタ落ちの渦中の男、陸からのメール受信を知らせていた。

『まだ友達とおるんか』

「そろそろ帰ろうか。終電まだ間に合うん違う?」

伝票を掴み、私は静かに立ち上がった。机に突っ伏して泣き続ける友人を立たせて手を振り別れた。

『今別れた所』

『いつもん所で待っとる』

愛想もへったくれもない、要件だけのメールが物語る私達の関係。

傷付けられても、また痛む耳朶を気にして三日月を目指す。
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