あおいぽりばけつ
吐き損ねた種が体内に忍び込み、胎内に新しい芽が生えだした。

陸の熱を感じて数ヶ月。
前を向き、陸を置き去りにしたホテルの廊下は、甘いバニラの香りがしていた気がする。

アルコールの香りが漂う室内。様々な年代の女性が座る中、私は小さな紙切れを手に順番を待っていた。

月のものが来ていない事に気が付いたのは少し前の事だった。元々不規則だったからと軽く考えていたけれど、不意にバニラの香りがしてドラッグストアに駆け込んだ。

静寂の中で膝に抱えていた鞄が何度か震えた。そっと隠すようにサブディスプレイを見て、笑いが込み上げる。


着信 陸


本当にタイミングが良い男だ。他は最低なのにと鼻で笑って久しぶりに名前を呼ばれた。

ピンクと白を基調とした小さな部屋で、私は素性も知らない男性の前に横たわる。
腹に冷たい物を垂らされて刺激され、不快感が全身を駆け巡った。そして最後に男性はこう言った。

「六週目、くらいですね。おめでとうございます」

男と言うのは何故、こんなにも女に対して興味無さげに出来るのだろうか。
産むかどうかも私は言っていないのに、何が目出度いのだろうかと噛み付きそうになった。

「次の検診なんですが……」

机に広げた書類から目をやっと離した医者は私の顔を見て、口をぱくりと小さく動かしてペンを置いた。

「……あ〜、産みますか?」

散る命をたくさん見て来たのだろう。包みも隠すことも無く医者は言い放った。それは、とても失礼な言葉だと思うがその背後の仄暗いニュースたちを思い浮かべて仕方ないのかもと思った。

そんなことを考えてなかなか言葉を発しない私を冷ややかな目で見て、更に言う。

「若いですね」

「もうすぐ二十四です」

そして、ご主人は、と。

「一人で産むつもりです」

オルゴールが流れる診察室。さっきまでだんまりだったのに、きっぱりと私は言った。
再び持ち上げたペンの先で額をがりがりと擦って医者がナース服の女性に何かを耳打ちしていた。

気が付けば、小さな冊子を手に会計を済ませて役所に向かい歩いていた。

ここでも待たされて、小さい紙を渡された。ベンチに腰を掛けて冊子をぱらぱらと捲り、お臍を撫でた。

この中に、小さな命がある。

そう思うと急に少し低めのヒールすら怖く感じた。
今、足をつけている床の些細な段差さえ、一呼吸置いて慎重に歩かなくては、と。

立ち止まり職場先の番号を探して、子を宿した事、仕事を辞めようと思うから、何日まで働く事を淡々と伝えた。電話先の社員は大変驚いていたが、そんな事はどうでもよかった。

季節は夏真っ只中。青い空を見上げて私は母になる決意をした。
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