あおいぽりばけつ
街は広いようで狭い。三歩歩けば知り合いに出くわすなんて事はザラだ。久し振りに出会った級友が膨らんだ私の腹を見て驚く、なんてことも多々あった。

「もう。買い忘れなんてお父さんに頼みゃ〜ええが」

「大丈夫よ。近くのスーパーなんじゃけぇ、散歩よ散歩」

サンダルを突っ掛けて、扉を開けて私は笑う。
吐く息が白くなる。少し前まで吐く息どれにも行き場の無い怒りや悲しみが込められていたのに、いつしかこうして季節を慈しむ事が出来るようになっていた。

日に日に強くなる胎動に頬を緩めながらサンダルの爪先から覗く分厚い靴下を眺め、次の検診はいつだったかと考える。

鼻歌交じりに鞄を振っていると、前から青黒い髪。

それでも私は、腹を蹴り上げる力強くて小さな生命力に気を取られていた。

すれ違いざまに髪が揺れた。私の伸び切った髪と、青黒い髪が絡まる程の距離だった。風がぶつかり、チッと小さな音が私の服を引っ張る。

「……気を、つけ……」

あの日の再現かと錯覚してしまいそうになる声だった。
驚き、振り向いて、目が丸くなる。

がなり立てようとしているのは、紛れも無く陸本人だった。
細い瞳が私を睨み付け、見知った顔と認識したのか少しだけ表情が綻んだ。

するすると視線を落とし、次は陸の目が丸くなる。

そして戸惑った様に、薄い唇を手で抓りながら私を凝視していた。

今更、話す事など無い。断ち切り、そう思うのは私だけかもしれない。

陸の言葉を待ってやろうと半身でじっと陸を見る。

「……すまん」

たった一言、絞り出すように転がり出たのはずっとずっと欲しかった一言だった。

瞬間、まるで長年背負って来た何かが地面に落ちる音がした。

「……何が?どうしたん?」

どん、どん、と胎内から蹴り上げられるのを感じ、足があるであろう場所をそっと撫でて私は首を傾げた。

すると陸がふらふらと歩み寄り、私の手首を握った。

「何ヶ月じゃ」

「もうすぐ、臨月よ」

目を閉じて、唇を噛み締める姿に何故か三日月が重なって胸がじわじわと熱くなる。

手首を握ったまま、顔を私の腹に近付けて言葉に詰まる陸の耳へそっと手を伸ばし、髪を掬いあげれば、まだそこには揃いのピアスの片割れが居た。

「……ワシの子か」

大袈裟に喉仏を揺らすから、私はわざとらしく眉を八の字にして知らぬ振りをすれば、陸がほんの少しだけ寂しそうな顔をした。

「責任、取る」

タイミングの良さだけが取り柄だったのに、今はその取り柄すら失ってしまったのか。

いいや、きっと私が強くなってしまったのだろう。
私の胎内に、芽吹いたこの子が、私を強くしてしまったのだろう。

「そんなん言う陸、好きじゃないわ」

寒さで腹がかちかちに張り始める。
皮が引っ張られ子宮が固くなる変な感じは今も慣れない。少し前屈みになり腹をさすれば、陸が私の肩をきつく掴んだ。

「ほいじゃけど、どう計算してもあん時の子ぉじゃろう。ワシの子じゃ」

「陸の子供だったとしても、責任なんて取らんでええ」

鼻の奥がツンとするのは、寒さのせいだ。
目頭が熱くなるのは、冷たい潮風のせいだ。

張りが治まり、前屈みになっていた身体をしゃんと伸ばして私は笑って陸の頬を撫でた。

「……お腹、撫でとく?」

その言葉に陸が鼻を啜ったのも、きっと寒さのせいだろう。

「……困った事がありゃ、すぐ言え。……飛んでくるけぇ」

欲しかった言葉を、今更になってぽんぽんと押し付ける馬鹿な男が心底愛おしいと、久しぶりに感じた。

そして私は腹に当てられた暖かで筋張った手を撫でて、また笑う。

「私なぁ、幸せになりたいんよ。だから、サイナラ、じゃ」

綺麗な爪を撫でて、手の甲に唇を寄せて静かに静かに呟いた。
遠くからは波の音が。横を走り去る車が、二人の髪を吹き上げていく。

私の小さな声。

聞こえていなくったって、良い。

心に響けば、それで良い。

赤い実の種がたくさん詰まった青いポリバケツ。
朽ちた種ね下、新たな生命が芽生えて冬が終わる。
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