月歌~GEKKA
「し…死ぬ……」
 お昼休みになり、私は休憩室でぐったりしていた。
嫌ね、クリスマス一か月前とはいえ、お父さんとお母さんの子供へのプレゼントに対する思いは凄かった。
戦隊ヒーロー物の人気商品は、開店と共に階段を駆け上る音と共に奪い合いが始まる。
人気のアニメキャラクターグッツに至っては、奪い合いすぎて売台が倒れて来て、裏で私達が支えるという始末。
ほぼ、開店間も無くで人気商品が完売した。
午前中はあっという間に終わり、私は食堂で倒れ込んでいた。
「玩具売り場凄かったね~」
新生児売り場の菊池さんが笑いながら隣に座る。
「階段を駆け上る音、こっちまで聞こえたよ」
クスクスと笑う菊池さんが
「どう?クリスマスの玩具売り場の洗礼を受けた気分は…」
と、手でマイクを握る真似をして私にマイクを向ける。
「驚きました。凄いです~」
溜息交じりに呟いた私に、菊池さんは苦笑いを浮かべて
「でも、本当の闘いはこれからだよ~」
って、意味深な笑みを浮かべた。
なんだか食欲を失くして、軽く食事をとった後に私は倉庫の屋上へと向かった。
倉庫はお店から5分位の所にあり、建物の裏側から屋上へと続く階段がある。
今日は天気が良いので、私は携帯を片手に屋上へと向かって階段を上り、屋上のど真ん中で大の字に横になった。
真っ青な空に白い雲が流れている。
耳にイヤホンを差し込み、携帯に入れてあるBlue moonの曲を流す。
楽器の音にカケルさんの歌声を乗せただけの、まだ未完成の楽曲が流れて来る。
見上げた青空のように青く澄んだ歌声が流れ込んでくる。
どこまでも抜けるような青と、白い雲の流れるようすを黙って見上げていた。
その時、幼い頃には分からなかったBlue moon唯一の恋愛ソングが流れて来る。
CDには楽曲が5曲入っていて、4曲が応援ソング的な感じのアップテンポの元気な曲になっている。
そんな中、たった一曲だけ切ないラブソングが入っていた。
まだ幼いカケルさんの声が、切なく愛する人への想いを歌い上げる。
『君の笑顔が見たくて 僕はいつもおどけてばかり
 でも、君の心は今も他の誰かを思ってる
 隣に居るのに…君の心はずっと遠くにいるんだね
 だからせめて、今は友達でも良いから傍にいさせて…』
思わず、小さく口ずさんだ。
そして雲へと手を伸ばした時、森野さんの顔が現れた。
慌てて起き上がると
「すげぇ恰好で寝てるな、お前」
森野さんがお腹を抱えて笑っている。
お店には制服があって、青いシャツと赤いネクタイ。
紺のセーターとベストは会社で支給されるが、下は紺か黒であればスカートでもパンツでも女性は自由。
男性は紺のパンツのみの指定をされてはいるが、その分上下が会社から支給される。
私はキュロットを巻きスカート風に見せている物を履いていた。
だから下着が見える事は無いけれど、慌てて膝をくっつけてアヒル座りする。
「何で森野さんが此処に居るんですか?」
驚いて呟くと
「此処は俺の休憩所」
そう言うと、ポケットから煙草を取り出した。
森野さんはタバコを咥えると、何処かぼんやりと遠くを見ている。
「森野さん、タバコ吸いました?」
思わず尋ねた私に、森野さんはハっとした顔をして
「たまにな…」
そう言ってタバコに火をつける。
この一連の流れが綺麗だと思って見つめて居ると
「さっきの歌……」
と、森野さんが口を開いた。
「聞いてたんですか!」
真っ赤になって叫んだ私に
「人聞き悪いな…。聞いてたんじゃなくて、聞こえたんだよ」
ムっとした顔で森野さんが私を見た。
ふっと真剣な表情で私を見詰めた森野さんにドキリと心臓が高鳴る。
切れ長の凛々しい目の中にある漆黒の綺麗な瞳が、何かを訴えるように揺れたような気がした。
森野さんの瞳に魅入られてしまったかのように、私は視線を外せなくなる。
どの位見つめ合っていたのだろうか?
多分、時間にしたらほんの何秒かなのかもしれない。
でも、この時の私にはとても長い時間に感じた。
ふっと森野さんの表情が緩むと、ゆっくりと森野さんが私から視線を外して
「お前、歌が下手だな」
そう呟いた。
「ぎゃ~~~~!!!!!!」
森野さんの言葉に顔から火が噴出したようになり、思わず悲鳴を上げた瞬間
「馬鹿!声デカい!」
そう言われて、森野さんに後ろから口を塞がれた。
その時、初めて森野さんの手の感触を唇に感じる。
男の人らしい長くてゴツゴツした指。
大きな手。
思ったより冷たい手が、どれだけ長い時間外に居たのかを教えてくれる。
口を塞がれて黙り込んだ私に、森野さんはそっと私の口から手を外し
「あ…悪い。此処までバレたら、居場所なくなるからさ」
ポツリと呟き、森野さんは再びタバコを口へ咥えた。
横顔が遠くて、隣に座っているのに遠くに感じる。
「休憩室は?」
疑問に思って尋ねると、森野さんは
「外野がうるさい」
とだけ答えた。
森野さんは容姿とスタイルがモデル並みに良いので、お店の女の子達が狙っている。
だから森野さんの行く所に女性ありと言われる。
「あ!って事は、私も邪魔ですね」
慌てて立ち上がると
「バ~カ。お前が先客だろう?それに、邪魔なら声掛けねぇ~よ」
と答えて小さく笑う。
その笑顔に胸がギュッと締め付けられるように苦しくなる。
思わず手で胸元を握り締めた時
「お前、本当に好きなんだな」
ポツリと呟いた。
「え?」
思わず聞き返した私に
「それ、聞いてる時のお前の顔。凄い良い顔してたから…」
私から視線を外し、森野さんはそう言ってタバコを携帯灰皿へと押し込んだ。
「悪かったな…」
黙って森野さんを見つめて居る私に、森野さんは遠くを見たまま呟いた。
「お前がそんなに大切にしているとは知らなくて、けなして悪かった。
きっと、その歌ってる奴も…お前がそんなに好きでいてくれて喜んでるんじゃねぇか?」
誰に言うわけでもないような…そう、まるで独り言のように続けた。
「そうですかね?だと嬉しいですけど…」
照れて笑う私に、森野さんは小さく微笑んで頷いた。
私はこの時に見た森野さんの…まるで消えそうな笑顔が忘れられない。
悲しそうな…切なそうな…何かに耐えるような笑顔。
杉野チーフや木月さんの話では、森野さんはクラシック音楽以外は全く聞かないらしい。
一時期お店で邦楽を流していたら
「仕事に集中出来ない」
と文句を言っていたらしい。
なので、カラオケに誘っても行く筈もなく…。
一度店長と奥様、杉野チーフと一緒に森野さんもカラオケに行ったらしい。
でも人の歌を聴く専門で決して歌わない。
一度、童謡の「ふるさと」を唄ったらしいけど、全く音が取れていなくて壊滅的な歌声だったそうだ。
「勿体無いよね…、あんなに良い声してるのに…」
杉野チーフが残念そうに呟いていたっけ…。
「でもね、あの森野君に弱点があるっていうのも親しみが湧いたけどね」
杉野チーフの言葉に、私はいつの間にか「カケル」さんと森野さんを別に考えている事に気が付いた。
私はきっと、森野さんがカケルさんに似た声で無くても好きになったと思う。
今なら自信を持って言える。
「そんな…。私こそ、森野さんに失礼な事をたくさん言ったのでお互い様です」
必死に吐き出した言葉に、森野さんはフッと微笑み視線を元の場所へと戻した。
何も映していないような…、私には見えない何かを映しているような瞳は、
これ以上私を森野さんに近付けさせないようにしているかのようだった。
 お昼休みが終わり、まさに怒涛の午後が始まる。
クリスマスの売り出し(セール)を経験するのが初めての私には信じられない光景だった。
人気商品はオープンして1時間で完売し、その後はひたすら謝罪。
「申し訳ございません。そちらの商品は完売致しました」
呼び止められる度、この謝罪を口にする。
人気のある玩具は集中するので、一瞬にして消えていく。
が!謝罪しても許さないお客様はいらっしゃるわけで…
「チラシに書いてあるのに置いてないなんておかしい!」
「本当は倉庫にあるんでしょう!さっさと出しなさいよ!」
等々…。
まぁ……お母様方が目くじら立てて怒鳴り散らす。
そんな中、店内の廊下に謎の水たまりを発見。
お客様が多い分、お客様のお子様のおもらしが頻繁に発生する。
ゴミ袋とトイレットペーパー。除菌のウエットティッシュを抱えて店内清掃。
処理が終わったらゴミ捨てをして、手を洗ってダッシュで売り場に戻る。
そんな中、店内放送で
『3F玩具売り場の方、3F玩具売り場の方。内線十五番お願いします』
のアナウンス。
この時期にストック置き場に人気は無く、売り場か倉庫。
又は偶然、ストック置き場に商品を取りに戻る程度なのだ。
丁度、内線電話の近くに居たので電話を取ると、小さな男の子の声で
「〇〇(特撮ヒーローモノの玩具名)ありますか?」
と、明らかに泣き声っぽく電話してくる。
「申し訳ございません。本日は完売いたしまして、明朝、本部より商品が届きます」
そう答えると
「どうしても無いの?」
と、これまた泣き声。
「ごめんなさい。明日の朝、入荷致します」
そう伝えた瞬間
『お母さ~ん、やっぱり明日の朝だって~!』
と叫ぶ泣き声だった筈の少年の元気な声。
「あ!電話切ってから言いなさい!」
のお母さんの声と同時に通話が切れる。
「ツーツーツー」
規則正しい電話が切られた音が響く。
「演技かよ!」
って突っ込んでいると
「柊!ボケっとしてる暇あるなら、そこの商品出しとけ!」
森野さんの怒号が飛んで来た。
言われた商品を抱え、売り場へと走り商品の補充。
本当に目が回るとはこの事だと思った。
そんな売り出しの洗礼を受けていると、店内放送が蛍の光に…。
「終わった……」
ヨロヨロしながらストック置き場に戻ると、杉野チーフが
「お疲れ様~」
と、笑顔で迎えてくれる。
「疲れました~」
一日中、走り回った足は棒の様になっている。
椅子に腰かけた瞬間、コツンと頭に何かを乗せられた。
「?」
疑問に思って見上げると
「お疲れ様。本番は明日からだけどな」
そう言いながら、森野さんが缶コーヒーをくれたのだ。
そして杉野チーフにも缶コーヒーを投げると
「本当は飲食厳禁だけど…」
と言いながら、商品が置いていない場所へ椅子を移動させて缶コーヒーを開ける。
木月さんはパートさんなので15:00上がり。
なので十五時以降は三人での戦いだった。
「毎年思うけど、クリスマス時期は本当に凄いな」
「本当にね…。でも、子供が可愛いから、必死になるお父さんやお母さんの気持ちもわかるけどね…。
人気商品は仕入れられる数にも限りがあるからね」
なんとなくブレイクタイムの中、私は声も出せずにぐったりしていた。
「なんだ?柊。こんな程度でへばってるのか?そんなんじゃ、明日と明後日の休日の闘いに負けるぞ」
森野さんが苦笑いしている。
「明日は整理券が居るかもしれないわね」
「あぁ、早めに並んでいる人がいそうですよね。
 じゃあ、商品は売台に乗せずにストック置き場から出しますか?」
「開店時間と共に整理券を出して、お一人様一つにしましょう」
「クレームになりませんかね?」
「ん~。でも、せっかく足を運んで下さっているお客様に、一つでも多く売りたいじゃない?」
杉野チーフと森野さんの会話を、あんぐりと口を開けて聞くしか出来ない。
今日でも凄かったのに、明日はもっと凄いのかと茫然としていると、森野さんが腕時計を見て
「あ、こんな時間だ。じゃあ、俺は倉庫から明日の商品持ってきますね」
そう言って走って階段を下りて行った。
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