この空を羽ばたく鳥のように。



 声に反応して歩みを止めた源太が身体を強張(こわば)らせる。

 足こそ止めたが、源太は振り返らなかった。
 私の声と分かって躊躇(ちゅうちょ)しているようだ。

 源太の足が止まったことに(さいわ)いして、近くまで駆けてゆく。

 だけど(がん)として振り向かない強張った背中が、私を拒んでいる気がして、手が触れる距離まで近づくことができなかった。

 少し離れたところで足を止める。

 深呼吸して乱れた息を整えたあと、その背中にもう一度声をかけた。



 「源太お願い……。少しだけでいいの、話をさせて」



 源太の頭が逡巡(しゅんじゅん)するように揺れ動く。けれど観念したのかため息をつくと、ゆっくりこちらへ向き直った。



 「……さよりお嬢さま。ご無沙汰をして、申し訳ございませんでした」

 「源太……」



 深く頭を下げたあと、顔をあげる。
 その姿を見て、言葉を失った。


 着たきりの着物や袴が擦り切れてボロボロなのは誰もが大同小異だけど、源太の衣服はあの日からさらに傷みがひどく、(まげ)もボサボサで顔は(すす)と汚れで真っ黒だった。

 私や家族のそばにいた時は、身だしなみとして毎日あたっていた髭も、今は伸びるにまかせ、口のまわりに無精髭をたくわえている。
 食事も満足に取っていないのか、黒い顔はさらに肉が削げ、肌はカサつき、落ちくぼんだ目の眼光だけが鋭い。



 「げ、源太……その姿どうしたの……?父上と何かあった……?」



 九八の情報では、源太は父上のもとで何の問題もなく仕えていたはずだ。

 まさか実は父上と折り合いが悪く、ぞんざいな扱いをされていたのだろうか。

 源太は私が心配することを考慮して、その事を九八に口止めしていたのだろうか。


 私の不安に反して、源太は静かに首を振った。



 「いいえ、旦那さまには良くしていただいております。このような(なり)をしているのは、城下を出歩く際に敵兵の目を(まぬが)れながら探索するためです」

 「そうは言っても……それじゃあ、九八と何も変わらないじゃない」



 私の言葉に、源太は目を瞠る。



 「そうですね……今の私は、野盗と何ら変わりがないのかもしれません」



 そう言って源太は目を伏せた。
 厳しい表情だった。

 「九八と変わらない」と言ってしまったことを瞬時に後悔した。

 武士にあるまじき、農民や野盗崩れの身なり。
 強い矜持(きょうじ)や門閥意識を持つ上級武士なら、自ら進んでする者はいないだろう。

 源太だってそうだ。
 軽輩だからこの身なりになったわけではない。

 私達に食糧や衣類を届けるため。
 戦況などの情報を得るため。

 いつだって源太は、自身の矜持や利欲より、私達家族のことを第一に考えてくれていた。



 「ごめんなさい……源太は私達のためにしてくれているのに。私、ひどいことを言ったわ」



 申し訳なくて頭を下げて詫びる。
 けれど源太は表情も変えず淡々と言った。



 「いいえ、構いません。実際やっていることは盗人と同じです。ただ、軍事局の認可が下りて城下の物は勝手次第となりましたので、凌霜隊の方がたと道案内も兼ねてご同道させていただいてます」

 「ああ、それ。孫太郎も言ってた……」

 「おかげでいろいろと収穫できる物も多くなりました。助四郎もそろそろ動けるようなので、次は連れて参る所存です」

 「そう……」



 まるで野盗の親玉のようだ。

 源太の外見も表情も声の調子も、すべてが変わって見えて不安を覚える。
 あの温かみ溢れる表情も声も、何もかも失われてしまったの……?



 「源太……どこか人気(ひとけ)のない場所で話したいのだけど」



 会話が切れて沈黙する源太にそう言うと、彼は目を伏せた。



 「……承知いたしました」



 背を向けると歩き出す。源太に従いついていきながら、心の中の疑問がひとつの答えを浮かび上がらせていた。

 家族の世話を離れ、父上のもとへ行ったのは、父上が呼び立てたからじゃない。
 これは―――源太の意思だ。

 私と会うことを阻んでいたのは、源太自身だったんだ。


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