この空を羽ばたく鳥のように。



 城外へ打って出た会津軍は、城の北西にある諏方社(すわしゃ)付近で長州•大垣•土佐の三藩と激突した。また西側にある融通寺口•河原口•花畑口の郭門も攻め込まれ、各地で攻防戦が繰り広げられた。

 諏方社での戦いはどちらも譲らず膠着(こうちゃく)状態が続いていたが、西軍の援軍が会津軍の側面から攻撃してきたことにより、対抗する兵力も援軍もなかった会津軍は退却を余儀なくされた。そのため西側の各郭門も次々と破られ、会津軍は総崩れになった。

 勢いづいた西軍は郭内に侵入し、逃げる会津兵の後ろを西出丸付近まで追撃してきたが、退却してきた会津軍を援護するため西出丸から凌霜隊や白虎士中合同隊などの部隊が出撃して、盛んに応射したので西軍は撤退していった。

 城までの接近は許さなかったが、これで会津軍の押さえる場所は城の南方のみとなってしまった。

 唯一残る南側まで西軍に取られてしまったら、城にいる会津軍は外部との連絡も物資の補給も完全にできなくなる。

 もう援軍がくるとは誰も思っていないだろう。
 何度も使者を送ったというが、頼みの米沢藩も仙台藩からも援軍を送るという話は伝わってこない。それどころか、東北の各藩はことごとく降伏しているという。
 頼りにしていた奥羽越列藩同盟はとっくに瓦解していた。

 会津藩は孤立した。皆も限界にきている。
 完全に包囲されたら全員城を枕に討死にするしかない。

 会津の戦争は、最終局面を迎えようとしていた。





 陽が落ちて暗くなっても、砲撃は止むことなく続いた。
 夜空を真っ赤な炎に包まれた焼玉が、各方面からまるで箒星(ほうきぼし)のように飛び交う。

 私達の命を(おびや)かす、恐ろしい赤い光。
 まるで地獄のようだ。
 けれど塹壕に入らず、外に出ていた子供らは、自分らが「トンボ」と呼ぶ赤い光をまるで花火を眺めるかのような顔で見上げている。

 焼玉は爆発こそしないが、落ちると火の手があがる。火災は絶対起こすわけにはいかない。西出丸の西北隅にある樓櫓(やぐら)を屯営とする(とび)の者は、屋根や高所に落ちた焼玉の消火に当たり、それ以外の場所に落ちたものは婦人達が濡らした着物をかけて鎮火していた。

 榴散弾は飛んでくると(あやま)たず爆発する。轟音が響き渡ってあたりは揺れ、瓦を吹き飛ばし、地面にはえぐられたような大穴が空いた。

 それがいつ自分達の真上に落ちてくるかと恐怖を抱きながら、城外へ出陣した父上や源太を思った。



 (父上と源太の陣営からも、城の状況が見えているだろうか。喜代美も……どこかでこの光景を見つめているかもしれない)



 夜になってもなお治まることなく続く砲撃に、お殿さまや私達のことを心配して、胸を痛めていないだろうか。



 (心配しないで。私達は大丈夫)



 届くことのない思いを心の中でつぶやく。



 昼間のうちに作った塹壕は深さ四尺ぐらいで底に(むしろ)を敷いていた。中は三〜四人が入れる広さだ。
 他の家族の人達の協力も得て、同じものを長局のまわりにいくつか作った。

 この塹壕の中へ母上とみどり姉さまとえつ子さまに入ってもらい、上は畳で塞いだ。となりに作った塹壕には勘吾と助四郎が西出丸に戻らず用心のため待機してくれている。
 私は塹壕に入らずに長局の縁側へ腰掛け、砲弾がこちらに飛んでこないか見張っていた。



 「さよりお嬢さま。見張りを交代いたしますで、お嬢さまは少しお休みになってくだせえ」



 勘吾と助四郎が塹壕から顔を出して声をかける。
 けれど私は首を振った。



 「ありがとう。けれどとても眠れそうにないわ」



 眠れるわけがない。いつ砲弾が落ちてくるか気が気でないもの。きっと勘吾達も、塹壕の中の母上達も同じだろう。

 敵の砲撃に対して、味方の応砲はなかった。
 どんなに弾を撃ち込まれても沈黙している。

 辺りは暗く、当たるはずもない無駄玉を撃てるほどの砲弾も火薬も我が軍に残っているはずもなかった。

 ただ黙って標的にされるままだった。
 私たちはそれに耐えるしかなかった。










 ※膠着状態(こうちゃくじょうたい)……物事が進まず行き詰まっている状態。


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