この空を羽ばたく鳥のように。



 父上達三人が出かけていったあと、私達もいつものように仕事へ向かった。

 空が明るくなり、朝五ツ(午前8時)には小田山からの砲撃が始まった。残念ながら会津軍の小田山奪取は失敗に終わったらしい。
 敵は天守に狙いを定め、雷のような轟音とともに砲弾を浴びせる。はずれることもままあったが、命中すると赤瓦や白壁が崩れ落ち、下を通る人達を瓦礫が襲った。

 たとえ総攻撃となっても、仕事の手を止めていられない。
 看病も、食事の用意も、何ひとつとして(とどこお)ってはならない仕事ばかりだ。

 炊事のために台所へ向かおうと外に出る。天守脇の開けたところでおますちゃんを見つけた。真面目な顔で誰かと話している。相手は小銃を抱えた藩士だった。

 藩士はおますちゃんに対して丁寧に頭を下げると、立ち去っていった。その後ろ姿を見つめるおますちゃんの背後に近づき声をかける。



 「おますちゃん……今のお方はどなた?」

 「わっ!びっくりした!いきなり後ろから声かけないでよ!」



 叱られてしまった。「ごめん…」と口を尖らせて謝る。



 「とうとう総攻撃が始まったわね……いろいろやらなきゃいけないことが山ほどあるわ」



 おますちゃんにしてはめずらしく表情が固くなっている。
 先ほどの藩士から何か聞いたのかもしれない。



 「さっきのお方……小銃を担いでおられたわね。これから戦いにゆくのかしら」

 「旦那さまのご実弟の英二どのよ。彼は竹村さまが率いる狙撃隊の銃士なの」



 竹村幸之進さまを隊長とした狙撃隊は隊員数わずか二十五名の小部隊だが、()()きの狙撃手を集めた精鋭部隊だった。

 軍事総督を務める山川大蔵さま直属の部隊で、主に城の防禦を担い、時には城外にも出撃していた。



 「今、急ぎの報告のために入城された旦那さまの無事を伝えに来てくれたの。お会いしたかったけれど、すぐに戻らなければならないそうで、もうお城を出たそうよ。
 英二どのの狙撃隊も城外へ打って出るのですって」



 おますちゃんは寂しそうに言った。



 「そう……。うちの父上も出陣したわ。殿方はみな戦いに行ってしまうわね……」



 長局を出てゆく父上と源太と九八の姿を思い出す。

 源太は中庭の木戸を抜ける前にもう一度こちらに顔を向けた。私の姿を目に焼きつけるような眼差しだった。

 私も目に焼きついている。喜代美の姿。源太の姿。
 そして幾度も見送った、戦いに赴いてゆく男達の姿が。



 「英二どのが申すには、軍事局の指示で奥殿の庭や広場のあちこちに塹壕が掘られているそうよ」

 「塹壕を?」

 「ええ。建物の中に居るより、野外の塹壕に身を潜めたほうが空がよく見えて砲弾の飛んでくる位置が分かるでしょう?建物の中では砲弾とともに天井まで崩れて危ないわ」

 「なるほど」



 どちらに避難するのがより賢明なのか。
 建物内なら壁や天井が砲弾の威力を少しでも削いでくれる気もしないでもないが、完全に防御できないどころか砕けた壁や天井の梁が落ちてきて二次災害を(こうむ)りかねない。

 かといって、野外に深い塹壕を掘れば、砲弾の着地点は判断しやすいだろうが、空からの危険にさらされやすいうえに、いざ自分達が避難した塹壕に砲弾が落ちてくるとなると逃げ場がないような気がする。



 (どちらにも逃げられるように、長局の中庭やまわりにも塹壕を掘ったほうがいいかもしれない)



 そう考えながら、おますちゃんはどうするのか訊ねた。



 「私?私は家族とともに塹壕に避難するわ」

 「そう……くれぐれも気をつけてね」

 「お互いにね」



 そう言って笑うおますちゃんと別れたあと、台所へは行かずに西出丸に走った。

 長局にも避難するための塹壕を掘りたい。
 それには男手が必要になる。

 西出丸の凌霜隊の屯所へ駆け込み、訳を話して助四郎と勘吾に頼むと、ちょうどその場に居合わせていた副長の坂田さまが気を利かせて孫太郎と籐平を遣わせてくださった。

 塹壕を掘るための道具もお借りして、それを皆で分担して(かつ)いで長局に戻るとき、城外北西から激しい発砲音や吶喊(とっかん)の声が聞こえた。

 包囲を阻止しようと出陣した精鋭部隊が、城外の各地で必死に戦っている。

 その思いに奮い立つように、長局に向かう足を速めた。










 ※竹村俊秀(たけむらとしひで)……慶応4年当時23歳。通称 幸之進(こうのしん)。会津戦争時は山川大蔵直属の部隊•狙撃隊の隊長を務める。隊士はみな彼を尊敬し従っていたという。山川大蔵とは親友であったらしい。

 会津戦争を生き抜いたが、明治9年、前原一誠の萩の乱に呼応して千葉で決起しようとした永岡久茂に加わり新政府の転覆を謀るものの、10月29日に起こった思案橋事件の翌日30日に浅草で潜伏していたところを逮捕された。
 翌明治10年2月7日に井口慎次郎、中原成業(高津仲三郎)とともに斬首される。享年32歳。
 墓は東京都新宿区富久町の市谷源慶寺。

 辞世の詩歌
 「白露ときゆる命はおしまねと(なお)おもはるる国のゆく末」


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