この空を羽ばたく鳥のように。



 光の差さない暗い塹壕の中でも、となりに腰を下ろしている助四郎がガタガタ震えているのが分かる。恐怖でおののく姿に胸が痛み、申し訳ない気持ちが膨らんでくる。



 「ごめんね、助四郎……怖いわよね」



 気遣いながら、助四郎の肩をさする。

 本来ならお城にいるはずのなかった九八、勘吾、助四郎の三人。

 ここに残ることを選んだのは彼ら自身だとしても、ずっと行動をともにしてきた勘吾が亡くなり、源太に従い戦いに赴いた九八だって帰ってくる確証はない。
 頼みの綱である兄貴分ふたりがいない孤独と、いつ自分にも訪れるかもしれない死の恐怖に、助四郎の心は今にも潰れてしまいそうだろう。

 助四郎は、自分の肩をさすっていた私の手をいきなり取ると、両手でぎゅっと握ってきた。



 「お……お嬢さまがたは、こ、怖くねぇんですかい?」



 私はその問いに、右どなりで黙って座るみどり姉さまのほうをチラリとうかがってから答えた。



 「怖くはないわ……私達はすでに覚悟を決めているから。
 家門に恥じない死に方ができればそれでいい」



 武家の人間はここが死に時と自分で判断する。
 死に際を見誤ることを恥とし、名誉の死を重んじる。

 恐れるのは、世間に恥じる行為をしてしまうこと。
 もし命を惜しむあまり、卑怯な振る舞いに及んで家名に傷をつけてしまったならば、ご先祖さまや家族親類に申し訳が立たない。
 そしてその教育は、女子供にまで行き渡っている。



 「わしは覚悟なんかできちゃいねぇです。
 できるわけねぇ……死んだらそれっきりだ!
 何がなんでも生きてやる……!生きて(ここ)から出てやる!」



 握る手に力が込められる。助四郎はそう考えるのか。

 生きることへの執着………武家と農民では死生観が違う。

 だからといって、助四郎を臆病とか卑しいと(さげす)む気持ちにはなれない。
 むしろその貪欲さが強さに見え、羨ましく思えてくる。

 武士は(いさぎよ)く死を選ぶが、見方(みかた)を変えればあきらめが早いといえなくもない。

 もっと生きる気持ちを強く持てば、敵襲のあった籠城当日に自害した家族も、絶望に負けず生き延びることを選んでくれたかもしれない。

 死ぬのは怖くない。本当にそう思っている。
 ただ―――気がかりなことが(いく)つもある。
 だからまだ死ねない。
 それは死ぬのが怖いのと同じ事だろうか。


 ブルブル震える両手は、心の()(ところ)を求めて、何かにしがみつかずにはいられない証拠。
 私はもう片方の手を助四郎の両手にそっと添えた。



 「助四郎、みんないるから。だから安心して」



 慰めになるかどうかもわからないそんな言葉を口にする。
 助四郎からの反応はなかった。


 勘吾を失いすっかり意気消沈した助四郎は、砲弾を恐れて塹壕の中でうずくまり続けた。
 ボーッと一点を見つめていたかと思うと、突然むせび泣く。勘吾の死を思い悩み、先行きを悲観して心を病んでしまったようだった。

 もろもろ気がかりな事はあったが、助四郎を放っておくこともできない。それに私が塹壕を出ることを家族も望まなかったので、しかたなく助四郎のとなりに身を寄せて無為な時を過ごす。

 つくづく思う。ここに九八がいてくれたらよかったのに。私では助四郎を勇気づけることはできない。
 九八がいれば助四郎も励まされ、気力を出すことができただろうに。

 場違いなほど無駄に明るい九八の必要さを痛感する。
 思わぬ出会いから生死をともにする間柄となったが、今や彼も私達を支えてくれる大切なひとりとなっていた。



 (……いったい、いつまで続くのだろう)



 いつになったら、この戦いは終わるんだろう。
 もうすぐ一月(ひとつき)になろうというのに。

 会津は負けるだろうか。
 もうこの状況では、勝敗は(くつがえ)らないように思える。

 そしたら藩はどうなってしまうのだろう。ご老公さまをはじめ、全員が死ななければならないだろうか。

 父上や源太達の軍は敵と衝突しただろうか?
 戦況はどうなってるだろう?
 戦って、もし深い傷を負っていたら……。もし……。


 首を振る。ダメだ。何もすることがないと、つい悪いことばかり考えてしまう。


 山浦さまと優子さんはご無事だろうか。
 崩れた瓦礫の下敷きになっていないだろうか。

 坂井さまのご遺体はどうなっただろう。


 そして、喜代美は――――喜代美は今どこにいるんだろう。



 (………あの時)



  ――――『 あぶないっ !!! 』



 坂井さまを失った、あの大書院近くでの爆発のとき。

 私は確かに声を聞いた。



 (あれは、喜代美の声だった)



 不思議な感覚だった。

 私の耳元でその声ははっきりと聞こえ、視界は一瞬のうちに鮮やかな露草色で覆われた。


 ――――それは私が初めて喜代美に縫ってあげた着物の色。
 彼が出陣の際に強く望んで着込んでいったもの。



 (喜代美が……助けてくれた……?)



 その考えに至り、暗い塹壕の中でうずくまりながら懐から出した同じ生地の匂い袋をぎゅっと握りしめる。

 少し汚れてしまったそれは、匂いはとっくに飛んでしまい(かす)かにしか薫ってこなかった。でも今思えば、あの時この匂いを嗅いだ気がする。
 それが私の懐から薫ったものでないとしたら―――。



 (……もしかすると喜代美は、本当はすぐ近くにいるのかもしれない)



 籠城当日、敵弾に撃たれて気を失ったとき。
 夢の中に現れた彼は笑って言った。



 『たとえこの身がどこにあろうとも、私の心はつねにあなたのそばにおります』



 あれが、本当なら。

 今まで夢現(ゆめうつ)つに現れてくれた喜代美が、私の記憶の偶像ではなく、本当に彼の心が(かたち)()したものだとしたら。

 そしてあの爆発から、私を守ってくれたのだとしたら。



 (まさか……そんなはずない)



 だって、だってそれができるというなら。

 喜代美は とっくに――――――。










 ※見誤(みあやま)る……ここでは判断をあやまるの意。

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