この空を羽ばたく鳥のように。



 村での生活は、ひどく穏やかなものだった。
 雷のような爆発音も、豆を炒るような小銃音も聞こえない。
 地面が揺れたり、瓦礫が上から降ってくるような危険もない。



 (……本当に、(いくさ)は終わったんだ)



 実感する。あの地獄のような日々は終わった。
 世が平和であることが、生きてることが心底ありがたい。
 そして必要最低限の衣食住が、人が生きる上でとても重要なんだと痛感する。
 すべてそろっている今は、心置きなく養生に専念することができる。

 それでも何度か、籠城の時の夢を見てうなされた。
 戦争の記憶は、決して消えることのないしこりとなって胸に残った。



 おたかをはじめ、村の人々は私達に親切にしてくれた。
 肝煎である藤林さんも時どき離れ屋を訪ねてくれ、新政府の新しい(まつりごと)を聞かせてくれた。

 籠城して戦っている最中(さなか)の九月八日に、江戸では新政府が年号を慶応から明治と改めたらしい。
 ですから今は慶応四年でなく明治元年なんですよ、と藤林さんは言う。何も知らない私達は困惑した。
 世の中は私達を置いて、とっくに先へ進んでいたのだと感じた。

 そんな私達を気遣って、藤林さんの家族もいろいろと世話を焼いてくれた。
 ここへ着いたとき、母上が当面世話になるための金子(きんす)を、肝煎さんにいくらか渡したらしい。
 どこにそんなお金があったのかと驚くと、父上が出陣する前に託してくれたものだという。

 おたかも津川家を辞す際に持ち出した、衣類や日用品などの道具を返してくれたので助かった。

 衣類のうち良い物は綿入れに仕立て直し、お世話になった照姫さまをはじめ、瀬山さまやたつ子さまへのお礼として、助四郎に妙国寺へ届けてもらった。

 照姫さまも奥女中の方がたも、籠城中にご自身の衣類を惜しげもなく城内の傷病者に与えていたから、今頃は着るものが無くて困っているのではと考えたからだった。


 九月二十九日の夕方に、とうとう雪が降った。
 翌日は辺り一面を白一色に変えた。

 もう少しだけ降伏を辛抱していたなら、この雪で敵を悩ませ、そのあいだに勝機を見いだせただろうか。

 いいえ。雪が降れば、食糧も補給できない我が軍のほうが飢えと寒さで戦うこともできなかっただろう。



 (いまさらそんなこと考えても、詮無いこと)



 障子から漏れる雪の照り返しで明るくなった部屋で、医者から傷口の抜糸をしてもらいながら、そんなことをぼんやり考える。

 抜糸を終えて、糸が残ってないか指で傷口をなぞりながら確認して、医者はうなずいた。



 「ふむ……傷口もようやく塞がったな。ここでの養生が良かったとみえる」

 「おかげさまで……皆さんにはとても良くしていただいております」

 「あとは体調にあわせて少しずつ身体を動かすようにな。傷痕は残ろうが、命が助かったことに感謝なさい。
 ……まあ、嫁入り前の娘さんには少々酷かもしれぬがな」

 「………」



 診察が終わり、帰る医者を母上達が見送りに出る。
 部屋の中でひとりになると、ゆっくり上体を起こしてみた。

 以前よりだいぶ痛みは減った。腹部は起き上がる時やはり痛むが、どちらかというと傷の痛みより、身体を動かさなかったための痛みのほうが大きい。



 (寝たきりだったせいで、だいぶ身体が(なま)ってる。足も歩けるかどうか……)



 少しずつならしていくしかない。けれど元の通りに戻れるだろうか。そんな不安を抱えながら、着物の襟元を広げ、ずっと目をそむけていた身体の傷痕を手鏡で見る。

 籠城中に小野さまに見せた時より、傷ははるかに良くなっていた。腫れもすっかり引いている。

 けれどもまわりの皮膚は引っ張られ、縫い合わされた傷口も(いびつ)なままだった。
 指で触れるとでこぼこする。鎖骨部分も、脇腹も。

 これ以上、この傷がきれいに治ることはないだろう。爆風でやられた傷だって、消えるとも思えない。
 もう以前の、傷ひとつないきれいな身体には戻れない。一生、この傷を抱えたまま生きるしかないのだ。



 「さよりお嬢さま、よかったですね!無事抜糸も済んで!あとは動けるようになれば、もう安心ですね!」

 「……っ」



 医者を見送ってから、先に離れ屋に戻ってきたおたかが明るく声をかけてくる。こぼれた涙を見せまいと、あわてて顔を背けて涙を拭った。



 「……お嬢さま⁉︎ どうなさいました⁉︎ 」



 涙をあっけなく見られてしまい、心配したおたかが私のもとに駆け寄る。振り向いて、なんとか笑ってみせた。



 「なんでもないの。傷が良くなって嬉しいだけ」

 「ですが……」



 おたかは気づいていた。私の着物の合わせが乱れているのを。そこから見えた鎖骨の傷痕におたかは表情を曇らせた。



 「……傷。良くはなったけど、残っちゃったなあって。こんな身体を見たら、喜代美はどう思うかな……」

 「お嬢さま……」

 「やっぱり喜代美の出陣前に、ちゃんと夫婦になっていればよかった……」



 胸の中の苦衷を吐き出すと、涙もまた(あふ)れだす。

 分かってる。あの戦争で、私よりもっとひどい傷を抱えている人はたくさんいる。手足を失っても、家族をすべて失っても、生きていかなければならない人だって。

 けれど再び後悔が押し寄せる。あのとき喜代美に抱かれていたなら、一番きれいな私を見てもらえたのに。

 悲しみのまま声を漏らして泣き出す私を、たまらずおたかがギュッと抱きしめてくれた。



 「大丈夫です、お嬢さま!お気になさることなどございません!喜代美さまはきっと、どんなお嬢さまも受け入れてくださります!だって喜代美さまは、本当にお嬢さまを大切に思われておいででしたもの……‼︎ 」



 言いながら、おたかもわぁんと泣き出していた。泣きながら、精一杯 私を励ましてくれた。



 「そっ、それにその傷は、お嬢さまがあの籠城戦を必死に生き抜いた(あかし)ではございませんか!それを喜代美さまが忌み嫌うはずがございません!」

 「うん……そうね。おたかの言うとおりだわ……。ありがとう、おたか」



 ふたりで気が済むまで泣いた。
 戻ってきた母上やみどり姉さまが驚くくらいに。

 自分のことのように一緒に泣いてくれる。
 おたかの優しい心が、あたたかく身に沁みた。


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