この空を羽ばたく鳥のように。



 十月十九日。御老公さまと喜徳さま父子が、今や東京と名称を変えた江戸へ、護送されることとなった。

 その報せを聞きつけ、肝煎の藤林さんとともにみどり姉さまが家族を代表して、助四郎を伴い見送りに向かった。

 みどり姉さまが戻ってから聞かせてくれた話では、家臣家族の見送りは所々で見られたが、領民達は藩主の籠が通過しても、目もくれずに野良仕事に打ち込んでいたという。

 わが藩は幕府の要望に応えるべく、各地に飛び役目を勤めてきたが、その費用を賄うべく領民に重い税を課していた。

 領民達は重税に苦しんだあげく戦禍に巻き込まれ、何もかも失った。そこからやり直そうと復興に力を注ぐ領民達にとって、藩主を見送る気持ちなど持ち合わせていないのだろう。

 仕方ない、そう理解していても寂しい気持ちが胸を覆った。

 御老公さまをはじめ、家中の藩士とその家族、そして武士以外の農町民までもが、あれほどまでに命を賭けて戦ったというのに………。



 そんなある日、少しずつ身体を動かすようになった私のもとに手紙が届いた。
 差し出し人の名前を見て驚く。早苗さんからだった。

 手紙を届けてくれた行商人の男に、至急返事を書くから待っていってもらえるかと訊ねると、男は(かたく)なに(かぶり)を振った。

 先方からは「けして返書を受け取らないでほしい。どうせこちらもすぐここを()つのだから、手紙を受け取ることも困難だ」と言われている、そう断られた。

 塩川方面から来た行商人の男は、先を急ぐからと茶を一杯飲み干すと、すぐに村を()っていった。

 しかたなく返事を書くことをあきらめて、早苗さんからの手紙を開いた。
 手紙は娘らしい細くしなやかな字で、こう書かれてあった。



 『一筆申し上げます。とうとう雪が降ってまいりました。

 塩川にて家族の安否を訪ねてまいりましたところ、えつ子さまにお会いして、さよりさまのご容態を耳にいたしました。

 私がこのように申し上げるのは(はなは)だ筋違いかと存じますが、お身体の具合は良くなりましたでしょうか。

 本来ならばこのような書面ではなく、直接そちらへ赴き謝罪すべきことと重々承知しておりますが、とても合わせる顔がなくまことに申し訳ない次第でございます。

 ですが正直に申し上げさせていただきますと、すでにご承知のことでしょうが、私は貴女(あなた)さまが嫌いでございました。
 なぜなら貴女さまは、ずっと私に嘘をついていたからです。

 だってそうでございましょう?
 私に協力するそぶりを見せておりながら、喜代美さまが自分の夫となる相手と知ると、(てのひら)を返して渡さないと仰せになる。こんな非道がありましょうか。

 ですが喜代美さまが口になさるのは、いつも貴女さまのことばかり。楽しそうに語られるお姿に、私の中の“嫉妬”という醜い感情は、どんどん膨らんでゆきました。

 私の視野は、完全に(せば)まっておりました。さよりさまさえいなければ………。

 冷静に考えれば、たとえ邪魔者を消したとしても、想い人と結ばれるのは簡単ではございません。

 それなのに小娘の浅ましさと申しましょうか、さよりさまが容易(たやす)く手に入れているものを、私が手に入れられぬはずはないと考えてしまったのです。

 その気持ちは、次第に強くなるばかりでした。

 喜代美さまが出陣のおりに我が家へご挨拶に参られた際、さよりさまの力になってもらいたいと頼まれた時はどれほど悔しい思いに駆られたか。
 私への別れの挨拶は、さよりさまのことを頼むためのものと知った時の惨めさはたとえようもございません。

 大切に想われている貴女さまには、想像もつかないことでございましょう?

 私の嫉妬心と憎しみは炎のように燃えあがり、勢いを増していきました。
 それでも喜代美さま恋しさに我慢ができず、お城へ赴き、そこで貴女さまのご無事なお姿を目にしたとき、その感情はいっきに頂点まで登りつめました。

 あの場を、貴女さまを消す絶好の機会と捉えてしまったのです。

 ……今 思い返しますと、ひどく恐ろしいことをしたものです。
 それなのにさよりさまは、私を庇ってくださいましたね。なぜ……?

 貴女さまは喜代美さまが悲しむからと仰せでした。
 私はそんなふうに考えられなかった。
 醜い欲望に我を忘れ、怒りの感情のままに身を委ねるしかなかった。

 ですがさよりさまにとどめを刺さなくてよかったと、今は心の底から安堵しております。
 殺していたなら、きっと私は二度と喜代美さまの前に出られなかったでしょう。

 ……なにゆえ喜代美さまが貴女さまを選ばれたのか。
 その差を見せつけられたような気がいたします。

 今さら許しを請うなどおこがましいことでございます。許してほしいなどとは、とても申せません。喜代美さまにも合わせる顔がございません。

 言い訳がましい事をつらつら書き連ねてまいりましたが、貴女さまが少しでも憐憫の情をもって、私の心中を察していただけましたら幸甚に存じます。

 今はただ、さよりさまのご回復と喜代美さまのご無事を心より願うばかりでございます。
                  かしこ
 明治元年十月朔日 認 
 津川さよりさま           早苗』

                     

 ………手紙に目を通して、あらためて知る、早苗さんの深い悲しみ。強い(いきどお)り。
 そして、狂おしいほどの喜代美への恋慕。


 きっと以前の私なら、自分の配慮のなさを棚に上げ、喜代美に対して「もう!女心も知らないで!」となじっていただろう。

 けれど喜代美の態度は、すべて私を優先するためのもの。
 それが分かるから責められない。それどころか、そこまで想ってくれることに愛しさが募る。

 私が幸せを噛みしめる裏で、早苗さんが嫉妬の炎を燃やしていたことを考えると、本当に申し訳ないと思う。


 鎖骨の傷を指でなぞり、その感触を確かめながら早苗さんの心中を思う。こんな傷で泣いてる場合じゃない。
 早苗さんの心の傷のほうが、はるかに深いのだから。

 けして彼女を責められない。
 そこまで早苗さんを追い詰めたのは、私と喜代美だ。
 この傷は自分の犯した罪への戒めなんだ。



 (早苗さんはこれで、痛み分けと考えてくれるだろうか)



 そう考えることこそ、あつかましいのではないか。

 どうすることが、一番正しいのか分からない。
 けれどそのうち彼女と会うことができたら。

 今度こそ誠意を尽くして謝ろう。

 いつか――――お互い理解し合える日がくると信じて。



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