この空を羽ばたく鳥のように。



 濱崎村での謹慎は、わりとゆるいものでした。
 各預け宅への行き来も自由でしたし、届け出を出せば近隣の村まで外出できやした。知人や家族とも面会できやした。

 謹慎中はわしもヒマでしたので、よく高橋さまのところへご機嫌伺いに参りやして、様々な話をしやした。

 そこで面会にきたえつ子さまにお会いして、再会を喜んだあと、津川家の皆さまがここでお世話になってることを聞いたんです。






 「藩士の方がたはまだ謹慎が解けやせんが、わしら農民や町人は一足先に謹慎が解けて自由になりやした。それで合わす顔がねぇと思いながらも、源太さまとのお約束を果たすためにこちらへ参った次第(しでぇ)です」



 ――――途中から挟む言葉もなく、ただ九八の話を聞いていた。



 源太が最後に残した言葉。『罰を受けねばならぬ』。

 それはあの晩、私を強く望んでしまったことへの悔恨に対する、源太の罪滅ぼしだったのだろうか。



 ずっと拳を握りしめ、時に涙を滲ませ、顔に苦痛の色を浮かべながら語り切った九八は、最後に自分の脇に置いていた風呂敷包みを前に出して広げた。



 「津川さまと源太さまのご遺品でごぜえやす」



 広げられた中身は懐紙に包まれた遺髪がふたつと、父上の財布。
 そして赤黒い染みがついていたけれど、たしかに出陣前に源太の首に下げられていた、見覚えのある薄茶色の巾着があった。

 それを見た瞬間、出陣時の源太の凛々しい姿と柔らかな笑顔が、脳裡に鮮やかによみがえる。



 母上が父上のものだろう白髪の混じった遺髪を、震える手で取りあげた。



 「旦那さま……!」



 母上が声を上げて泣き出す。それにつられて皆の嗚咽も漏れ出した。みどり姉さまも、おたかも。助四郎も大声をあげて泣いていた。


 それなのに。なんでだろう。
 なんで私は泣けないんだろう。


 こうなる覚悟が出来てなかったのかな。
 だからこの現状を受け止めきれないのかな。


 母上のように源太の遺品を手に取れず、皆をぼんやりと見つめて風呂敷に視線を落とす私に、大きく鼻をすすったあと、九八は言った。




 「さよりお嬢さま。まだお話してないことがもうひとつごぜえやす。高橋金吾さまからお伺いした話です」

 「……金吾さまから?」

 「へえ。高橋さまは津川さまから託されたことがごぜえやした。今更どうなるという話でもねぇんですが」



 そう言って、九八は少しためらったあと、心を決めたかのように皆を見渡した。



 「これは津川家の皆さまにも聞いていただきたいお話でごぜえやす」





 ――――謹慎が解かれ濱崎村を出るとき、わしは最後に高橋さまのもとへご挨拶に伺ったんです。

 ふたり並んで縁側で茶を飲みながら、高橋さまは少し残念そうに笑われやした。



 『お前がいなくなると寂しくなるな。ここを出たら、津川さまのご家族のもとへ向かうのか』

 『へえ。ようやく源太さまとの約束を果たせやす』

 『そうか……そうだな』



 (つぶや)いたっきり、しばらく黙っていた高橋さまでしたが、ふとこんなことをおっしゃったんです。



 『九八、ひとつ頼まれてくれぬか。この話を、津川家の皆さまに持っていってほしいのだ』

 『この話……とは』

 『今更こんな話をしても詮ないことではあるのだが、せめて津川さまのお心を、さよりどのとご家族にお伝えしてほしいと思ったゆえな。皆に伝われば、源太も浮かばれよう』

 『源太さまが……?』



 源太さまに関係する話と知って身を乗り出すように言葉を待つと、高橋さまはゆっくり茶を飲み干してからお話しになられやした。



 『たしか九月十五日だ。一ノ堰の戦があった夜、俺は勝利の喜びを分かち合おうと酒を手土産に津川さまをお訪ねした。あのおりお前と源太は外に出されていただろう、覚えているか』

 『……へえ。覚えておりやす』



 忘れることなどできやしやせん。
 あの日わしが余計な事を口にして、津川さまと源太さまの関係を悪くしてしまったんですから。



 『あのあと酒を酌み交わしながら、津川さまにある頼み事をされた。それが “喜代美が戻らなかった場合、源太を高橋家の養子にしてもらえまいか”という内容だったのだ』



 一瞬、意味が分からなくてポカンとしやした。



 『……え、えぇっ⁉︎ それって……⁉︎ 』

 『うむ。津川さまは喜代美が討ち死にしておったら、さよりどのの婿にあの源太を据えようとお考えだったらしい』

 『……津川さまが……⁉︎ まさか!』

 『俺もはじめは酒のうえでの戯言(ざれごと)と軽くあしらっておったが、どうやらそうではないらしい。ずいぶんと熱心に口説かれてな』



 衝撃でした。あの日、わしが軽口でそのように進言した時には『そんなこと万に一つもない』と一蹴されていたのに。


 驚きのあまり声を失っていると、高橋さまもあの時を思い返して不機嫌そうにおっしゃいやした。



 『無論 俺は反対した。さよりどのは弟達が大事に思っていた女子だ。それをあろうことか、自分に仕える家士にくれてやるとは津川さまもどうかしてる。
 そんな軽輩の者に渡すくらいなら、俺の妻に迎えて、子が生まれたら津川家を継がせればよろしいではないですかと進言したが、津川さまは首を縦に振らなんだ』



 ――――津川さまは、こうおっしゃったそうです。


 喜代美が戻らなかったとしても、さよりは決して喜代美への想いを失わんじゃろう。
 下手をすればみどりのように、もう婿は取らぬと言い張るやもしれぬ。
 我が娘達は、揃いも揃って頑固者ばかりじゃからな。

 源太(あれ)は生まれは低いが、有能な男だ。
 それにさよりの性質(たち)もよく存じておる。

 幸い、さよりは小さい頃から源太に懐いておる。
 そして源太もさよりに想いを寄せておるという。

 あれは決して高望みしない男じゃ。
 良い養子先を見つけてやろうと言うたが、養子に行くより、さよりのそばで仕え続けたいと望んでおる。

 源太なら、喜代美を想い続けるさよりをそのまま受け入れ、大事にしてくれよう。

 もちろん喜代美が戻れば、この話はない。
 金吾どのも忘れてくれてかまわぬ。

 しかしそうでなかった場合、さよりさえ承服するならば、わしは源太を婿に迎えようと思う。
 そのためには源太の身分をそれ相応のものにしなければ藩の許可は降りぬ。

 そこで高橋家にお願いするのじゃ。源太を高橋家の息子としたうえで婿に迎える。
 わしが生きて戻れたらあらためてお願いにあがるつもりじゃが、もし戻れぬ場合は、金吾どのに後事のすべてを任せたい。

 わしの意を汲み、そのように事が運ぶよう手を尽くしてはくれまいか。





 『そんなことをしたら、ご先祖さまに申し訳が立たないではないですかとお止めしたが、津川さまは自分が死んだのち、いかようにも詫びるつもりじゃと笑われた。

 思うに、津川さまは源太より先に死ぬおつもりだったのではなかろうか。その上でふたりを夫婦と認めようとなさったんじゃないのか。―――残念ながら、津川さまの思うように事は運ばなかったが』



 高橋さまから、津川さまのお考えをそう聞かされて、わしの目から滝のごとく涙が出やした。

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