この空を羽ばたく鳥のように。



聞かれて、目をぱちくりする。
天井を見つめて、しばらく考えてから答えた。



「幸せよ。だって、みんながいてくれる。私のことを気にかけて、助けてくれる優しい家族や仲間がいる。
そりゃあ……喜代美のいない心の寂しさは埋められないけど、でも今の自分を不幸だとは思わないわ」


「そう……」



安心したように目を細めるみどり姉さまに向けて、私は苦笑する。



「けれど、働けずに、みんなの負担になってることは心苦しいけどね」


「そんなこと気にしなくていいのよ。今は病気を治すことだけ考えましょう」



そうおっしゃりながら、みどり姉さまは私の頭を撫でて、乱れた髪を整えてくれた。私はさらに笑う。



「ボサボサでしょ」

「そうね。起き上がれそうなら、()かしましょうか」



みどり姉さまが上体を起こしてくれる。
起き上がると身体を支えるのがつらい。
全身がだるい。だいぶ体力が失われているんだわ。

けれども何ともないふうを(よそお)う。
これ以上、家族に心配や迷惑をかけたくないから。

立ち上がった姉さまが(くし)を手にして戻ってきた。
会津の籠城戦以来 ずっと大切にしてきた、喜代美のお祖母さまからお借りしたままの拓殖(つげ)の櫛。

ひとつに束ねただけのボサボサな髪を()いて櫛を入れる。姉さまは櫛の通らない髪をゆっくりと丁寧に(くしけず)ってくれた。


いついかなる時も、身だしなみを(おこた)ってはならない。


かつて、お祖母さまにそう教えられた。


それなのに体調を崩してからはずっと髪に櫛を通していなかった。お祖母さまの教えを怠っていたことを申し訳なく思いながら、あの頃を思い出してカサついた唇でつぶやいていた。





「ああ……会津に帰りたいな……」





髪を梳っていた、みどり姉さまの手が一瞬 止まる。
私の目は自分でも知らず、がたついた長屋の窓の隙間から漏れ出る光りを見ていた。





「あの頃に帰りたい。喜代美がいて、源太がいて。
父上や母上もいて、もちろん兄上もまだ健在で。

お城も綺麗なままで、町家もたくさんあって。市に行ってお買い物したり、お友達とお稽古したりおしゃべりしたり……。

いつまでも住み慣れたあの屋敷で、家族と過ごしていたかった。

ああ…平和だったあの頃の会津に、もう一度戻りたいなあ……」



「さより……」



「でもダメね。それじゃあ九八や助四郎達がいない。私、みんなが揃ってなきゃイヤだもの。

そう思うと、あのつらかった戦争も、無かったことにしちゃあいけないのね。だってそうでなきゃ、みんなに出会えなかったものね」






ふふっ、と笑みがこぼれる。


出会った人それぞれが、皆 かけがえのない存在で、私の心を育ててくれた。


「私」を形成する一部になってくれた。






目を閉じると、美しい会津の風景が、まぶたの裏に鮮やかによみがえる。


懐かしい故郷。懐かしい人達。



そして、大好きな 喜代美の笑顔。



あの頃は、いつもそばに喜代美がいてくれた。
ふたりで景色の移り変わりを眺めた。



時には気まずくなったり、お互い譲らなかったり。
嘘をつかれ、裏切られたと感じた時もあった。



けれど喜代美は、ずっと変わらない気持ちで、私を見つめてくれていた。



あなたのことを思い出すたび、私の心にあふれてくるあなたへの想い。





好きだよ。

ずっとずっと、大好きだよ。





喜代美はいま、どこにいるのかな。

白鳥に姿を変え、懐かしい故郷へ戻っているのかな。







「いつか私も……会津へ帰れるかな」



つぶやくと、背後でズッと鼻をすする音が聞こえた後に、みどり姉さまが強い口調で応えた。



「帰れる。きっと帰れる。みんなで一緒に会津へ帰りましょう。それにはとにかく病気を治さなきゃ。
さ、髪も綺麗になったわよ」



解きほぐした髪を再びひとつに結い終え、私を寝かせると、目元を拭ってみどり姉さまは立ち上がった。



「さ、起きていて疲れたでしょう。少し眠りなさい。ひと眠りして起きたら、重湯を作ってあげるわね」



姉さまがおっしゃったその時、玄関から男の声が聞こえた。



「もうし。こちらは津川主水さまのお住まいでございますか」


「あら、お客さまかしら」



耳を澄ますと、すでになをさまが応対に出ているようだ。みどり姉さまも様子を見にゆこうと部屋の戸を開けた。その背中に声をかける。



「みどり姉さま……ありがとうございます」



振り返り微笑むと、姉さまは戸を閉めた。

床の中で来訪者とのやりとりに耳を傾けようとしたけれど、すぐに意識が薄れてきて目を閉じた。





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