ニセモノ夫婦~契約結婚ですが旦那様から甘く求められています~
「ダメか。じゃあ……」

 そうつぶやいた颯馬さんの手がこちらに伸びる。動けずに視線だけで追っていると、それは私の頬を滑って髪に差し込まれた。彼の顔がすっと寄せられる。柑橘系のような爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。

 気がつくと視界が暗くなり、唇には温かな感触が訪れる。

 ――えっ?

 心臓と呼吸が、一瞬同時に止まった。感触とともに、彼の手は私をなでるように離れていく。

「これで、俺のことなら考えられるかな」

 颯馬さんは囁くように言った。

 なにが起こったのか事態が飲み込めない私は、よろよろと後ずさる。膝の力が抜けて尻もちをつきそうになったところで、「危ない」と颯馬さんの腕に腰もとを支えられた。

 今すぐ飛び退けたいほど恥ずかしいのに、足腰が立たない。

「あ、そろそろ時間だ。行こうか」

 それをわかっているのか、颯馬さんはわざとらしく腕時計を見ながら告げた。私が不満げに口をへの字に曲げていると、彼は嬉しそうに目尻を垂らして微笑む。

 そして、

「はい。こうすれば歩ける?」

 と私の左手を取った。
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