檸檬の黄昏
麗香は茄緒がジョギングを始める時間には、起きて洗濯や朝食を作ったりしているようである。


甲斐甲斐しい働きぶりだ。


そして毎日、隣の事務所まで耕平の腕を組み、見送りに付き添うのである。

至れり尽くせりの生活のはずだが、耕平の顔は変わらず、いつもの無愛想だ。
しかし煙草の本数は確実に増えている。
今もまた、新たな煙草のカートリッジを差し込んだところだった。

すると空気清浄機がすかさず反応して、音をたてて空気を清浄している。
茄緒の苦情を受け、敬司が会社の経費で購入したものだ。


「寂しい中年男に、わざわざ飯作りにきてくれるなんて、羨ましい環境じゃないか、耕平」


無言で煙草をふかす耕平に、敬司がニヤニヤと笑っている。


「大切にしてやれよ、慕ってくれる妹さんなんだろう?」


そうですよ、と茄緒も頷く。


「可愛い妹さんじゃないですか」


夏でも冬でも温かい飲み物を好んで飲んでいる茄緒は、マグカップに淹れた温かい紅茶をすする。


先ほど茄緒は耕平から麗香は死んだ妻の妹だ、と初めて紹介を受けた。


実は知ってました、と茄緒は答え、耕平が眉を動かし敬司に顔を向けると、天井を見上げ口笛を吹いている。

茄緒がジョギングと朝のアルバイトを終えて自宅に戻った時に、麗香と話をした事がある。

耕平の好物を記したレシピノートを見ながら作っているとの事だった。

若かった耕平は確かに好物であったのだろうが、十年経過した今は好みも変化したように思える。


麗香に悪気はない。

妻であり姉の沙織が作っていたという、耕平の好物を単に作ってやりたいのだ。
それで沙織を思いだし、鎮魂の意味もあるのかもしれない。

しかしそれが、耕平が踏み出せない足枷になっているのではないだろうか。

もう沙織はいないのだ。

耕平の隣どころか、街ですれ違うことすらない。

まだ、耕平の傷は癒えていない。

ベッドサイドに置かれた写真。

あの写真を見つめ、毎晩語り合っているのだろうか。

もちろん、それも悪くない。

とても美しいと思う。

うらやましい、とも思う。

思うのだが……。
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