大江戸シンデレラ

「御三卿・清水(しみず)様の御当主様が身罷(みまか)われたことに端を発する」

「御三卿」とは、公方(将軍)徳川様より分家された「田安(たやす)家」「一橋(ひとつばし)家」そして「清水家」の三大名家である。
もし、水戸・尾張・紀伊の御三家に御世嗣(およつぎ)がいない場合は、この三家のうちのいずれかに生まれた男子が差し出され、継がねばならぬ。

御公儀(幕府)の重責を担う御家ではあるが、実は亡くなった御当主・敦之助(あつのすけ)様は、かような御家であろうと役不足なお立場にあった。

なぜなら、十一代の公方様(徳川家斉)の御子であるばかりか、三代の公方様(徳川家光)以来の御台所様(御正室)の御腹より生まれた男子であったからだ。

ご誕生の折には、公方様や御台所様・茂姫(広大院)のお喜びは言うまでもなく、御台所様の父である薩摩藩八代藩主(島津重豪)に至っては「我が世の春」とばかりのはしゃぎっぷりであった。

ところが……

その三年ほど前、「次」の公方様はすでに御側室・お楽の方(香琳院)が産んだ敏次郎(としじろう)様(徳川家慶)と決められていた。

ゆえに、先代(徳川重好)に御世嗣がおらず断絶していた清水家を再興させて、断腸の思いでその当主へと敦之助様は据えられた。

されども……

御当主となったその翌年、敦之助様はこの世を去った。享年わずか四歳であった。


「……公方様はもちろんのこと、御台所様のお嘆きが並々ならぬそうだ。
昨年、懐妊なされた御子をお流しになってござるから、余計に堪え難きことであろう」

そういえば、吉原の(くるわ)にいたとき、姉女郎・羽衣の上客であった安芸国広島新田(しんでん)藩の藩主・浅野 近江守(おうみのかみ)が、御座敷でさようなことを云っていたのを美鶴は思い出した。

「よって、当面晴れがましきことは御法度になったがゆえ、おまえたちの祝言は秘して(おこな)うことと相成った」

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