星空電車、恋電車
耳に唇が当たっただけでも恥ずかしくて顔を上げられない私に対する配慮か、ただ自分も懐かしい景色に気をとられているだけなのかはわからないけれど、しばらく樹は目が合えば微笑むだけで話しかけて来なかった。

樹の願いは全て私との事だったと聞いて嬉しさと共に感じたのは罪悪感。

あの頃の私はただ悲しかった。悲しみと少しの憎しみを抱いて心を閉ざした。
勝手に裏切られたと思い込んで樹を遠ざけ彼を傷つけていた。

今更だけど、私もあの時恋電車に樹とのことで願いをかけていたら、もっと早くわかり合えていたんだろうか。
あの時、私が空色電車に樹との別れじゃなくて別れたくないと願っていたら・・・。

「千夏は何も悪くないよ」

きっと少し眉間にシワがよっていたのだろう。
記憶の糸を手繰り寄せ、密かに落ち込む私の気持ちを樹に気付かれてしまった。
再び付き合いはじめてからの樹は私の感情の揺らぎに敏感だ。

「ね、樹は今しあわせ?」

小さな声で問いかけると

「一度手放した幸せを取り戻せたんだから、幸せじゃないはずないだろ」

指輪をはめた私の左手を持ち上げ、くしゃりと目を細めた。
私の不安はいつも彼の優しい笑顔で返される。

「二度も失ったからこそ今がどんなに大事かわかるんだ。だから、お互い前を向いて行こう」

樹の言葉に胸がつまる。
そう、私たちはやっとしっかりと繋がることができた。
私はもう樹と離れてはいられない。なによりも樹が大切だ。

留学後、樹は一度も桜花さんには会っていないそうだ。

彼女は昨年結婚をしていた。お相手は会社で彼女の教育係をしていた先輩なのだとか。
体調も今では全く問題なく過ごしているらしい。

私が嫌っていた姉の沙百合さんは、実は私が思っているような人ではなかった。
樹に命令しているように見えていたのだけれど、あれは勉強ばかりして引きこもりがちだった樹を心配して無理やり連れ出していたのだと知った。

過去の怪我のせいで長年桜花さんに振り回されていた樹。
沙百合さんはそんなこともう気にする必要はないのだと何度も樹に言ってくれていたのだと聞いた時には自分が恥ずかしくなった。

そんな沙百合さんは安曇野でレタスを育てながら観光客に星空観測ツアーを主催している。なかなか人気があるらしく週末は予約でいっぱいらしい。
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