触れられないけど、いいですか?
……顔は笑っているけれど、酷く冷たい声で霜月さんがそう言った。


何で……何でそんなこと言うの?


「霜月さん、あの……」

「何? さくちゃんが言ったんじゃん、自分達は政略結婚だ、って」

「それは……」

確かに、政略結婚であることは認めたけれど。でも、この結婚は否定的な感情なんて、今はもう何もないのに。

……そんな言われ方したら、翔君に誤解されてしまう。


「……霜月さん、でしたよね?」

翔君が静かに彼の名前を呼ぶ。
その表情は穏やかなもので。


「すみません。今、デート中なのでこれで失礼します」

そう言うと、翔君は笑顔でぺこりと頭を下げ、その場から去る。

私も霜月さんに「で、ではまた会社で」と挨拶し、翔君を追い掛けた。



何メートルか歩いて、後ろを振り向くと、霜月さんの姿は見えなかった。どうやら帰ってしまったらしい。

だけど、翔君はさっきから無言で歩き続ける。
顔を見上げても真っ直ぐ前を向いたままでこちらを見ないし、歩く速度もいつもより早い。


「翔君?」

彼の名前を呼ぶけれど、反応はない。

……急に、怖くなってしまった。
もしかして、また誤解されてる?
でも、霜月さんとの関係はただの同じ会社で働く先輩というだけだって、この前分かってもらったはず。

ということは、私が〝所詮ただの政略結婚〟という発言を本当にしたと思ってる?

……そうだとしたら、絶対に嫌。誤解なんだって分かってもらいたい。

だけど、ゆっくり会話をしたくても彼は長い足でずんずんと歩いていってしまうから、追い掛けるのに精一杯。


……それすら段々とついていけなくなり、隣にいたはずの彼の姿が、気付いたら前方に見える。
何も語らない後ろ姿がとても寂しく感じるし、不安にも思える。


……たまらなくなり、私は、


「……翔君っ!」

彼を呼び止め、そして……


自分から彼の手に触れ、引き止めた。
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