俺様御曹司は期間限定妻を甘やかす~お前は誰にも譲らない~
どこをどう通ってきたのかもわからないまま、私はいつの間にか自宅マンションの前にいた。

習慣とは恐ろしいもので、どうやら私はきちんとロッカールームに寄って着替えまで済ませたらしい。


その時の記憶は朧気でよく覚えていない。

上着を朝は着ていたような気もするのに、今は身に着けていない。

忘れたのかもしれないが、もうどうでもよかった。


心だけがジクジク痛むのに治す術が見つからない。

――ここでの暮らしも、終わりだ。


ロビーに到着したエレベーターに乗り込みながら独り言ちる。

ここにいたらずっと忘れられない。

ひとりきりのエレベーターの中、これまでの出来事が走馬灯のように思い出される。

その全部が愛しくて切ない。


あの人に恋をした時間は幸せで、赤ちゃんも授かった。

だったら、せめて大事な人の幸せを祈らなくちゃ。


頭の中では冷静に理解しているのに、気持ちがついていかない。

ポーンと軽快な音と共にエレベーターの扉が開く。


湧き上がる暗く身勝手な気持ちから逃げるように足を前に進める。

玄関ドアを開ける指に、こらえ切れなかった悲しみの雫が落ちた。


真っ直ぐに廊下にある大きな収納棚の前に向かい、すう、と小さく深呼吸をして扉を開く。

目的の書類は、あの日と変わらず引き出しの中にあった。
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