イジワル御曹司と契約妻のかりそめ新婚生活
『なら、早いうちに手続きをしたい。まずはご両親に挨拶をして許しをもらえたら婚姻届けの提出に向かって話を進めよう』
頷いた途端にてきぱきと段取りを組もうとする彼にはちょっと引いたが。佐々木さんがいいというなら、冷静に考えて私にとってもったいないくらいのお相手だ。一瞬『結婚詐欺か?』なんて考えた。上司の仲介なのだから、いくらなんでもそんなわけはないけれど。
『さっきも言ったが、新居は俺のマンションで構わないか? 今君が住んでる辺りより会社にも近いし便利だと思うが』
思わぬことを言われて、驚いて目を見開いた。
『私が住んでるところ、ご存じなんですか?』
『詳しくは知らないが、最寄り駅は知ってる。通勤の電車で時々見かける」
『えっ、全然気づきませんでした』
そこまで無表情だった彼が、ふっと何かを思い出したように口元を緩ませた。
『そうだろうな。君はいつも本を読んでいるから』
営業スマイル以外で、初めて佐々木郁人の笑顔を見たような気がする。思いのほか優しく見え、血が通った表情に思えて思わずじっと、魅入っていた。
佐々木郁人という人物像が、幾重にも重なって見える。オフィスで見る、氷みたいに冷たい人だけ、というわけではなさそうで。
見え隠れする素顔に、人間の体温を感じて、私はきっとそこに興味を引かれた。捕まってしまったのかもしれない。
かくして、カフェラウンジでコーヒーを飲みながら一時間に満たないほどの『商談』の結果。私と佐々木郁人の結婚へのカウントダウンが始まった。