イジワル御曹司と契約妻のかりそめ新婚生活
郁人の電話は、通じなかった。
メッセージを送っても、返事がない。

仕事を終えて、真直ぐ家に帰ろうか迷っていた。郁人に会いたいけれど手段が見つからない。結局は家で待つしかないのか。
けれど、郁人本人が最後に電話で話した時に、しばらく帰れないと言った。電話にも出ないなら、多分簡単には身動きが取れない状況なのかもしれない。

藁にもすがる思いで、私はバーに立ち寄った。

ひとりでバーに入るのは初めてだ。いつもならそんな緊張すること絶対しないが、今は必死だった。

ドアを開けてすぐカウンターを見たが、いつものバーテンダーさんがいるだけで目的の人物はいない。
落胆したが、そのまま店内に入った。

「ああ、歩実さん!」

バーテンダーさんは、なぜか私を見てほっとしたような表情を浮かべる。

「こんばんは。すみません、ちょっとお尋ねしたいことがあって……」
「動木さんでしょう?」

話が通じているらしい。
ひどくほっとして、涙が出そうになった。

「はい、郁人から、何かあったら動木さんを頼るようにって」
「とにかく座ってください。まずは落ち着いて」

カウンターに前のめりになりながら話す私に、バーテンダーさんは優しくスツールを勧める。
それから水のグラスを目の前に置いてくれた。

バーテンダーさんは、郁人からではなく動木さんから、私が来たら連絡をするように言われていたらしい。すぐに電話をしてくれて、それから小一時間ほどだろうか。

「いたいた歩実ちゃん! 頼ってくれて良かったよー」

やたら明るい声で店に入って来た。

< 236 / 269 >

この作品をシェア

pagetop