恋を忘れたバレンタイン
 そこには、少し緊張したように見える彼女が居た。


 俺は無意識に、ボールペンを差し出していた。

「どこにでもある安物ですよ」

 状況が、全く把握出来ないまま言葉を口にした。

 彼女が、ボールペンへと手を差し出した。
 微かに手が触れ、胸が跳ねる。
 だが、胸がもっと跳る事になるのだ。


「このボールペン、本命チョコのお返しって事でいいわよね」


 彼女は何を言っているのだ? 
 本命チョコってどういう事だ。
 俺の頭の中はパニックで何も思考が回らない。


 まさか、あのチョコを本命に。
 そう思った途端、俺は立ち上がっていた。


「いいですよ。たくさんの本命チョコのお返しの中に入れて下さい」

 バレンタインのあの日を思い出し、思わず口にする。


「あら? 本命チョコは一つしか渡してないけど」


 俺の胸は大きく飛び跳ねた。


「主任、また熱出したんですか?」

 俺の、悪い癖が動き出す。


「はあ? 熱なんてないわよ」

 怒って声を上げる彼女の顔は、正直俺のツボにはまる。


「熱があれば、家に連れて行けると思ったのに……」


 彼女がどんな反応するのか、俺は嬉しくて仕方ない。



「あら、熱が無ければ、家に行ってはいけないのかしら?」



 彼女が返した言葉は、俺の想像よりはるかに上だった。

 俺は、彼女をジロッと睨んだ。


「主任、一緒に帰りましょう?」


 俺は、彼女の手を取る。
 善は急げだ。
 彼女の気持が変わらないうちに……

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