Crazy for you  ~引きこもり姫と肉食シェフ~
言われて莉子の視線はもう弁当に釘付けだった、俯き加減にその弁当を凝視していると。

ふわりと髪を撫でられた、驚いて肩を竦めると、その手はすっと引かれる。
視線を上げた、大きな藤堂の手が離れていくところだった、その向こうに見える藤堂は優しく微笑んでいた。

「──じゃあ、明日」

囁くような声に、莉子は小さな声で「はい」と答えていた。

藤堂との約束は初めてではない、なのにとても嬉しくて興奮する約束だった。

藤堂は廊下へ出て背後で鍵が閉まる音を聞いてから、莉子の髪を撫でた手を見下ろした。温かくて滑らかな髪だった、思わず触れてしまった、もっとじっくり撫で回したい衝動は懸命に抑えて離したが。
もっと乱暴に掻き乱してやりたいのが本音だとは、まだ気づいていなかった。


***


翌朝、八時五分前にインターフォンが鳴った。

(わ、本当に来た)

莉子はきちんと起きて、身支度も整えていた。いや、正確には眠れなかった、寝ようと思えば思うほど目が冴えてしまい、諦めて仕事をしていた。そして窓の外が明るくなってきたころシャワーを浴びて顔を洗って、歯も磨いた。掃除機もかけて洗濯を済ませてもまだ八時には遠かった。

玄関に出ると、両手にレジ袋を下げた藤堂が、ニコニコ笑って立っていた。

「おはようございます、えらいえらい、ちゃんと起きてましたね」

実際には寝ていないなどと、言えるはずもない。

「……はあ」
「じゃあ、早速始めましょう」

挨拶もそこそこに玄関を上がると、まっすぐキッチンに向かった、莉子は藤堂の靴を揃えてからその後を追う。

藤堂は持ってきた食材を作業台に並べていた。

「これは……」
「家にあったのを適当に持ってきました。ああ、今日は買い物に行ってくださいね、これ、メモです」

そう言って藤堂は、ジーンズの後ろポケットから紙切れを出した。

はがき大の紙を二つ折りにしたその紙を広げる、人参や豚ひき肉など定番の食材もあれば、自分はまず買わないであろうアンチョビなんて文字もあった。

「量は適当でいいですよ、人参は三本入りなら一パックでいいですし、一本売りなら一本で十分です」
「はあ……」
「はい、じゃあまずはお鍋に水を入れて」

莉子は藤堂が差し出した片手鍋に、ウォーターサーバーから水を注いだ。

「昆布を入れて弱火にかけましょう、沸くまでの間にこちらの大根を……」

言われるがままに動いていた。
ジャガイモの皮を剥いていると、藤堂は「ふうん」と声を上げる。

「料理なんてしないのかと思いました、ちゃんと基礎は押さえてますね」
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