Q. ―純真な刃―
まずは服装を変えた。日本に帰ってから引きこもり生活で、絹素材の部屋着しか使っていなかったが、日中は御曹司らしくかっちりとしたシャツを着るようになった。
廃れた素肌は徹底的な栄養管理でよみがえらせ、脆い骨と縮れた肉は適切な運動で鍛えた。
痕のついた首や腹や足は衣服で隠し、内側のはみ出た指先は体に害のないネイルチップで保護した。
生前両親がよく梳かしてくれた、母とおそろいの金髪は、きれいに整えたあと、また伸ばすことにした。髪の毛一本一本に両親の愛が詰まっている気がしたのだ。
それに、この髪は母だけでなく、マルやシカクとも共通している。悪い記憶をできるだけ良い思い出で上書きしたかった。
外見を健常に装ったあとは、内面だ。心の不安を根本的に排除するには、やはり、指名手配のかかった紅組の残党が捕まる他ない。
犯人の心理として、警察の目が届かないところに逃げ隠れする防御タイプと、逆恨みして被害者たちを口封じする攻撃タイプがある。
新道寺は真っ先に地下牢から救出されたという同胞を護ろうと、現在の姿を把握しに動いた。しかし、法律にすでに守られた子どもたちのプライバシーは、そう容易くは割り出せなかった。
だったら! と紅組の残党の調査に転じるが、こちらもめぼしい情報は見つからなかった。そもそも警察が苦戦していることを、最近まで情勢を知る由もなかった子どもが成し遂げられるわけがない。
それでも新道寺はあきらめられなかった。
祖父母が知ったら何がなんでも止めるだろう。そんなに怖いのならと、ためらいなく会社のオーナーの座を譲って日本を発つかもしれない。
だけどそれでは何も変わらない。新道寺の決意は固かった。その反面、説得できる自信はなかった。だから表では新道寺の名に恥じない生活態度を取り、立ち直ったふりをして、裏ではボスたちの逮捕に向けた作戦を考え続けた。
そして、白園学園の中等部に進学したころ、ついにひとつの作戦がまとまった。
それが、武器商人戦法だ。
その名のとおり、紅組の残党と接点のあるヤクザや売人に限り、GPS機能をつけた武器を売るのだ。怪しい動きがあったら周辺の監視カメラで確認できる手筈も整えている。
売り物の目玉商品として、父の趣味で家に大量に収集されたモデルガンを借り、高性能に見せかけた銃を作った。その銃は弾丸の爆発力がずば抜けている一方で、銃口がずれて直線で狙いづらい。わざと反動が大きくなるよう研究に研究を重ねて作り上げたのだ。
腕が立つ者しか使えない逸品として売り出せば、強欲な無法者はこぞって買いに来る。そうして噂という名の罠を広げ、宿敵を引きずり出すのだ。
直近の目撃情報で、残党の多くが日本にいることが判明している。本命のボスだけはいまだに消息不明だが、仲間ひとり捕縛できたらそいつから個人情報を引き出せばいい話だ。
作戦実行当初は、新道寺の目論見どおりに進んだ。祖父母に強くなりたいとだけ言って習い始めた柔道と、専属で配備されたボディーガードにより、新道寺は強気に武器商人を演じられた。
ところが目当てのねずみはなかなかしっぽを出さなかった。
代わりに耳にするようになったのは、かつての同胞たちの今だった。
『ミスコングランプリ!』
『陸上競技の強化選手に決定』
『ピアノコンクール優勝!』
『支援団体立ち上げ』
監禁されていたときでさえ上級の魅力を隠しきれていなかった少女たちは、さらなる飛躍を遂げ、表舞台に上がり始めていた。ボスたちの目に狂いはなかったなんてとんだ皮肉だ。
中でも、異例の雑誌重版を報じたネットニュースを目にしたとき、新道寺は我を忘れて釘付けになった。
『ティーンの人気を集めるカリスマメンズモデル・成瀬円!』
浮世離れした美貌に黄金の髪をした、カバーモデルの画像。
一瞬、マルかと思った。だがすぐに我に返る。凍てついた鋭い目つきは、マルではない、シカクだ。
(ん? メンズモデル? ……じゃあ、シカクでもないのか……)
いや、でも、見れば見るほどシカクだ。
吸血鬼じみた褪めた雰囲気が儚げで、過去の記憶とぴったりリンクしている。他の写真を漁っても既視感は強まる一方だった。
人身売買のために収容されていたのは、全員、容姿端麗な少女だった。例外は、自分だけ。そう思っていた……が、そうじゃなかったとしたら?
(シカクも、男なのに間違えられていた……?)
成瀬円という人物については、SNSに情報が散乱していた。家庭が荒れていると近所で噂されていること、小学校時代不登校なときがあったこと、毎日ちがう女と寝ていること、業界内で好き嫌いが分かれていること。ざっと時系列を整理すれば簡単に彼とシカクが同一人物である確証を持てた。
同時に、ボスたちにも居所を特定されやしないかとひやひやした。ただでさえかつての商品が少年だったと知られたら、逆ギレして血眼で追いかけ回しそうだ。人の心配をしていられる立場ではないが、同じ事情を背負った同胞ならなおさら放っておけない。
しかし、ふしぎなことに、SNSの情報はたいてい次の日には消されていた。事務所の権力か熱狂的なファンによる通報か、あるいは裏で誰かが手を回しているのか。何にせよシカクに強力な味方がついていることは明らかで、心底安心した。
(マルにも味方はいるのかな。……今、どうしているだろう)
マルについてはボス同様、何年経っても情報がない。
ボスに捕まって一緒にいるから、どちらも見つからないのではないか。次第にそう考えるようになった。
武器商人戦法が膠着しつつあるのも相まって、新道寺は焦りを覚え始めた。
繁華街で武器の噂を流しながら、紅組の残党について嗅ぎ回った。
聞くところによると、紅組の組長だった男の娘が、近辺を縄張りとする暴走族・神雷に居座っていた時代があったらしい。
その神雷というチームを深掘りすると、最近新たに女総長が誕生したことがわかった。
――あの館は、神雷のもの。立ち入ったら最後……女王の贄となるだろう。
その噂は、武器商人以上に早く町中に行き渡った。歴代を振り返っても女が上に立つことはめずらしく、女王といういかにもな呼称が強烈なインパクトを与えた。
女にまつわる異様な噂を立て続けに聞いたからか、新道寺は妙な予感に駆られた。
同時期、白園学園に裏金で入学した違反者がいるらしいと校内で騒ぎになった。発端も証拠もなく、根も葉もないでたらめだろうと一週間もしないうちに結論づけられたが、新道寺の予感はその後もざわついていた。