Q. ―純真な刃―
(――と、気づき始めているころかしら)
膝を痛めて四つん這いの姿勢を崩すボスを見下ろしながら、姫華は密かに目を細めた。
髪の水気を絞るふりをして、右耳につけた超小型イヤホンに触れる。
『Good job! 女王様、次の作戦にまいりましょう!』
あいにくこれは一対一ではない。
はじめから彼女は独りではなかった。
遠隔でつながる汰壱の声に、姫華は安心してひと呼吸置いた。
幼きころ、手も足も出なかった父親相手に、圧倒的優勢で戦えているのは、チームプレーのおかげだ。
たとえば、先ほどの雷の目眩しや水たまりでの転倒は、汰壱のアシストによるもの。単独で挑んでいたらきっとこううまくはいかなかっただろう。
姫華は横目にビルの裏口を一瞥する。
扉の上についたささやかな屋根には、実は監視カメラが内蔵されてある。新道寺のコネで手配してもらったものだ。
同様にたまり場圏内に数ヶ所設置している。ボスが出現する可能性が高いと考えた場所に。
当初、ボスの行動パターンは証拠不十分で予測不能とされていた。
だがしかし。
かつて地下牢のあったアジトにライフルが保管されていたことを記憶していた姫華は、先日の矢文の件も鑑みて、ボスが遠距離攻撃に出ると当たりをつけた。
そして、勇気が下っ端たちを率いてたまり場周辺の地形や建築物などを洗いざらい調べ直し、射撃スポットを含め侵入しやすそうなエリアを割り出した。
その調査結果を元に、いくつかのエリアに監視カメラを配備。
候補に挙がった射撃スポットに関しては、洋館を狙いやすく、それでいてこちらからも迎え撃ちやすい場所をひとつ選定し、メールでそこに来るよう誘導した。
そのメールのやりとりも、実際に迎え撃ったのも、見事こなしてみせたのは汰壱だ。
新道時が新たに開発した特注の狙撃銃を、短期間で物にし、彼なりに仇を討った。
狙撃任務後も、こうして監視カメラと音声通話を通し、下っ端数人とともにサポートに徹している。
トンネルでの一戦のように敵の攻撃ターンをシミュレーションするつもりだったが、ボスのデータをリアルタイムで取得するのはハードルが高い。
そこで代替案として、汰壱が狙撃任務にも役立てた、勇気らの調査結果と天候の知識を駆使し、巧みに戦況をリードした。
力がある、味方がいる、そう思いふんぞり返っていたボスの表情が、みるみる崩れ落ちていった。
起きたことはすべて偶然ではない。因果応報。自身でまいた種だ。
図らずも種は根を張り、枝を伸ばし、無数の葉や実を開かせた。
(イヤホンで聞いていたけれど、囮作戦も見事だったようね)
私たちだからできること。
みんなで作り上げた戦略が、想像以上にきれいに花を咲かせていることに、姫華は胸がすく思いを抱く。
無論、これで終わりではない。作戦は今も継続している。
「ひ、くそっ、おかしい……っ。なんで……どうして……!」
「ふしぎに思うのなら、一度現実をご覧になってみては?」
ぱちん。今朝塗りたての赤い爪を自慢するように指を鳴らす。
『Next is……ホームレス軍団!』
巻き舌の声がイヤホンを貫くと、一斉に道を取り囲む建物の窓が開いた。
驚いてボスは顔を上げる。ガン開きした左の眼に雨が刺さり、思わず目を瞑りうつむく。
タイミングを見計らったように四方八方でパンッ! パンッ! と空気が振動する音が連鎖した。
ボスはすぐさま感覚だけを頼りに宙を鷲掴みにする。手中には、雨玉が凝結したような小さな弾が3つほどおさまっていた。
「び、BB弾……?」
取り損ねた十数個が、雨と自認しているかのようにパラパラと降り注ぐ。暗い夜道が瞬く間にカラフルに彩られた。
「ひひっ、俺をからかってんのか!? あぁ!?」
ボスは雲に塞がれた上空に向かい威嚇のポーズを取った。
ボスが使った雑居ビルを除く、3階以上の高さのある建物から、多種多様な人々が多種多様な銃をかまえている。
「はっ、何なんだてめえら!」
通称、ホームレス軍団。
新道寺の提案で協力要請を出した、武器商人と交渉済みのホームレスの人たちだ。軍勢、およそ20名。
エアガンを操作する手つきは拙いが、命中させることが目的ではないので問題ない。むしろ射線がバラけたほうが好都合だ。
素人ゆえの不一致な軌道とどしゃ降りの雨が、まんまとボスの勘を惑わせる。
飛び交うBB弾の半分はボスの巨大な体に当たった。小石がぶつかった程度のダメージしかないが、数が多いとストレスがたまる。
もう半分は路地一帯に散らかった。ぽちゃん、とひとつ、水たまりに沈む。それはやけに重たい音だった。
「くっ、ふへ……失せろよ、エアガンごときにかまってる暇は――」
――バァッ……ン!!
ボスは反射的に飛び上がった。
プラスチック製の小粒であふれ返った地面には、重厚な鉄の弾が埋まっていた。
持ち前の危機管理で一歩ずれていなければ、確実に黒いブーツはお釈迦になっていた。
ふふ、と笑みが落ちた。
ボスの不全な後遺症ではない、姫華の薄ら笑いだ。
「失礼」
「なっ、何がおかしい……!」
「……ふふ」
「ひはっ、ああそうか……全部お前の差し金だろ。そうなんだろ! バカげた真似しやがって! 俺相手に遊んでるつもりか!? はっ、ひひひひぃ!」
遊びというと当たらずも遠からず。
実際は、脅しだ。
ホームレス軍団の各潜伏場所には、神雷の下っ端を複数名置き、それぞれに実弾の入った銃を持たせている。
神雷のモットー。
殺しはなし、100%生け捕りにすること。
銃はあくまで脅し。命を奪うまではしない。
だが生半可に臨めば逆襲される。だから気持ちは常に本気で、銃弾には根深い敵意がこもっている。
脅しはちゃんと脅しとして機能し、ボスはまんまと手のひらで踊らされている。
情緒とは関係なく繰り出されるボスの笑い声が、雷鳴を凌駕した。
それでも姫華の微笑は揺るがない。高潔に咲き誇っているようで、その実、悪のすべてを掌握していた。
もう大人に支配される人形ではない。
彼女は“女王”だ。
――あの館は、神雷のもの。立ち入ったら最後……女王の贄となるだろう。
この場を統治する王なのだ。
「お楽しみいただけて何よりだわ。私の庭は気に入ってくれたかしら」
「ひ、ふひっ、ふ、ふざけんのも大概にしろよ! お前、どっから仕組んでやがった!? お前のせいで全部台無しだ! お前のせいで……お前のせいで……!!」
バァンッ!
「そんなに元気なら、まだ遊び足りないわよね?」
姫華はライフルを拾い上げ、片腕で造作もなく発射してみせた。ボスの上着の裾にぽっかりと穴が空く。
あとに続くように再び建物から発砲音が反響する。
乱れ撃ちのBB弾に紛れ、明確な意志を持った銃弾が、ボスの背後を抜いていく。ボスは前方に飛び退け、鉄の塊だけを器用に避ける。
弾丸の雨は天気を倣って激しさを増す。考える隙を与えない。
ひたすら前進していくボスの尻を叩くように、姫華は次の弾をセットしたライフルを伸ばした。
あわてて進行方向を東へ転換するボスに、それでも躊躇なく引き金を引く。曲がり角に売却の看板を立てたアパートの外壁が鋭利に削られた。
『女王様、ナイスコントロールです!』
イヤホン伝いに周知される汰壱の賛美が、盲目的な評価でもお世辞でもないことは、その場にいない人でも理解できた。
外壁にヒットしたのは、わざとだ。
わざと、東へ向かわせた。
脅しの有効活用。ただ行動を抑止するのではなく、コントロールする。
『ホームレス軍団、第二陣いきますよー! Ready?』
騒音が突き当たりの向こうへ移行していく。
音を追い抜いて苛烈な雷光が我先に弾けた。業火さながらに盛る先は、化けても出られない女王の城。
「招待したからにはちゃんとお越しいただかなければ――我が館へ」
そう簡単には帰さない。
首に絡まる金髪を背に流し、姫華も歩き出した。