Q. ―純真な刃―
「ひ、はっ……ふひ、ぃひひっ、ひはあああ!」
もはや笑い声とも言いがたい絶叫が、宵闇の町を震撼させた。
道路にへばりついた血生臭い痕跡をたどる姫華の視界に、ホームといえる洋館が映った。
そこに全速力で近づくボスのうしろ姿も。
ボスは背中にBB弾を連射されてもいとわず、一方で鉄砲の照準に捕まりにくいスピードで直進していた。
餌にがっつく飢えた猿のような顔をしているだろうと、姫華は手に取るようにわかった。
(洋館の扉前には、彼がいるもの)
自分と瓜二つの格好をした、彼が。
目と鼻の先に捉えたその姿に、ボスは興奮を隠せなかった。
手ぶらでひとり扉横にもたれかかり、フードを鼻あたりまで下げている。先ほど囮だと思い込まされた、あの武器商人だ。
音楽でも聴いているかのように規則的に首を倒す仕草をする彼は、館前の嵐に見向きもしない。それがよけいにボスの破壊衝動を爆発させた。
銃撃戦はツイていなかったが、ステゴロの戦闘スタイルには紅組の矜恃がある。
形勢逆転の踏み台にするには、またとない獲物だった。
落雷の衝撃がボスをいっそう逸らせる。前傾姿勢で速度を上げた。数え切れないほどのBB弾が黒いブーツにつぶされていく。
ボスが洋館の敷地内に片足を突っ込んだ。
途端に発砲音がぴたりと止んだ。
『ターゲット、ゴールイン』
「ようこそ、神雷のアジトへ」
豪雨で変化に気づかないボスは、まるで恋するようにフードの彼に迫り寄る。
それを500メートルほど離れた地点から姫華は見守っていた。
依然として歩みはゆるやかで、手まで打ち鳴らし始める。足音と同じリズムの拍手も、延々に流れる雨が包み込んだ。
「歓迎のあいさつをしなければいけないわね」
腕に抱いたライフルを掲げた。装填された弾を余さずすべて送り出す。ボスの頭の輪郭を象るように一直線で飛行していく。
ヒュンッと風がうなり、雨が避ける。
フードの彼に拳を向けたボスが、身を屈め頭の位置をずらすまで一瞬だった。
その一瞬で、十分だった。
音もなく洋館の扉が開かれた。
着弾前に人ひとり分の隙間ができるや否や、内側から棒が突き出された。先端がU字の形をした刺股だ。
U字型の金具がくの字に曲がるボスの体を圧した。背後にアンテナを張っていたボスは、一瞬の間に締め上げられた下腹部の感触に、はっ? と声を漏らした。
理解できないままに、一発目の弾が、無いも同然のボスの髪を刈った。
感電したような熱が頭皮を焦がす。痛い、頭も目も腹も、痛くて苦しい。悲鳴を押し殺しながらも傾く体勢を止められない。
勢いを増して押してくる刺股に、どうにか足腰を踏ん張っていた。
二発目以降の弾はすべて、開かれた片方の扉をノックした。ギリリ、とボスの歯ぎしりと同時に、沈黙していたその片方の扉も軋み始める。
刺股に全体重を預けた、勇気の上半身が躍り出た。
冬場の深夜、雨風さらに助長されているにもかかわらず、 Tシャツ一枚で、袖は肘の上までまくっていた。2メートル以上ある棒を押して押して押しまくる両腕は、丸めた袖を引きちぎりそうなほどパンパンに膨張している。
全力をかけても、ただでさえ筋肉量の多いボスをなかなか動かすことはできなかった。
痛覚に慣れてきたボスは、U字に切り替わるつなぎ目をつかみ、押し返し始める。
かと思いきや、つと力を抜いた。
「ぅりゃああ……うおっ!?」
反動で勇気は前に倒れかかる。
口角をひくひくさせたボスは、屈伸しながら飛び退き、U字の囲いを軽々と逃れた。刺股を蹴り上げるが、勇気の手から離れはしなかった。
頭皮の火傷のような傷口に、ピチャン、雨がしみこんだ。なぜか左目まで霞み出す。
左目をこすり、もう一度フードの彼に焦点を合わせる。口角が中途半端な高さで攣った。
目が、合っていた。
フードの陰に潜んでいた眼が、いつの間にか自分を射抜いていたのだ。
雷神の逆鱗に触れたような烈々たる光を帯びながら、夜の深い闇の中に溶け込んでいた。
「ひひ、いひひ、ひはははっ! そのままじっとしてろよ間抜けがっ!!」
ボスのこめかみに青筋が浮かぶ。フードの彼に詰め寄り、拳を走らせる。自ら白濁させた空気が散っていく。
ボスの言ったとおり本当に動かずにいるフードの彼は、瞬きすらせず、ボスの厚い面を静視している。
まるで作り物にも思える、そのいやに冷めた眼めがけて、ボスは殴りかかったつもりだった。が、視覚の不調で軸がぶれていたらしい、拳は彼の顔すれすれを横切った。
空振りする拳。
せめてもの風圧でフードを落とす。
あらわになったのは、姫華と似て非なるブロンドヘアだった。
「お前が、本物の武器商人……?」
日暮れの雪をかぶったような髪を、黒い皮の手袋をはめた手がかき上げる。
内側にかけて長くなる髪の毛は、色落ちした毛先を隠すように背に垂れたフードの中に入っていく。
フードの陰がなくなっても、髪をうしろに流しても、顔色はほの暗かった。
元が血管も毛穴もなさそうな青白さで、明かりという明かりが見当たらない暗雲の下では、どうしても薄闇のフィルターがかかる。
その陰が、むしろ彼の造形を際立たせていた。まなじり・鼻・顎のとんがりが、この世にふたつとない刺激的な画を生み出す。
視覚の暴力ともいえる美貌だった。
「なんかどっかで……」
ボスは無意識に瞳孔を広げていた。
「あ……はは、そういやいたな、売れなかった商品でテレビに出てた奴が」
「俺の名は……!」
堂々と言葉をかぶせたフードの彼――成瀬は、今なおボスを睨み続ける。
上着の袖をしゃんと伸ばし、息を深く吸い込んだ。
「俺の名は、成瀬円! 侍・風都誠一郎の名を継ぐ弟子だ!」
すると、成瀬の袖口から刀の柄部分のみが滑り出た。細身の柄をぎゅっと握りしめる。刀身がなくてもかまわず、そのまま振りかざす。
単なるパンチの強化かと、ボスは笑って受けて立つ。
成瀬こそ、ニヤリとほくそ笑んだ。
勢いに乗った持ち手から段階的に刀身が伸びた。予想の何倍もの速さでボスの首にたどりつく。
「侍の覚悟なめんな……!」
汰壱が一から作った、伸縮自在の小刀。
これが模造刀なことを、成瀬は今さらもどかしく思った。
仕方ない、神雷は生け捕りがモットー。
刀を震わせる握力を必死に抑え込み、銀メッキの切っ先でボスの喉仏を突いた。ぅえっほ、と唾を吐いてえづくボスに、成瀬は念押しで追撃する。
「うっ……く、ひ、ガキの妄想にゃ、付き合わねえよ」
二度目の突きは、片手で止められた。ボスは手のひらにおさめた切っ先を、メキメキと圧迫させる。
成瀬は引き抜こうとするも力及ばず、両手で柄を支えるので精一杯だった。
それなら、と、いけるところまで引き、耐えて、耐えて……ボスがズンと近づいたのを合図に、柄を投げ放った。
シュンッシュンッシュンッ!
柄の中に刀身が片付けられていく。
そのまま柄にぶつかって喉がつぶれろ。成瀬の呪いを鼻白み、ボスは持っていた切っ先を捨てた。
「ひ、ひへっ、そんな手に引っかかるかっつうの。脇が甘ぇんだよ」
「おっさんもガラ空きだぜ!」
槍さながらに刺股を携えた勇気が、高く跳躍し襲いかかった。
ボスはこともなげに見上げた。
ピチャン、タイミング悪く唯一使える目に何かが入った。雨にしてはごわつき、視神経をじわりと蝕む。
下瞼の縁から赤い液体があふれた。左目を一時的に封鎖させたのは、頭皮からこぼれた鮮血だった。
U字の棒先は難なく重量ある体をホールドした。上から刺さる棒に追われ、巨漢が転倒する。
刺股を地面に突き立てた勇気は、ズドンッと膝を曲げて着地した。
よくやった円! と勇気は一瞬、横で足をすくませる成瀬にアイコンタクトを送る。ん、と成瀬は片肘を張ったまま首肯した。
雑誌撮影にドラマの稽古にと目まぐるしい生活を過ごす成瀬は、それでも今日の決戦のために毎晩洋館で素振りをしていた。
それを見て勇気は実戦形式の戦闘訓練に付き合ってあげるようになった。決戦当日の今晩も、武器商人になりかわる成瀬のボディーガードに志願し、いつでも援護できる体勢を整えていた。
努力が実った。だが実感はない。
吠え面をかかせたボスを、ふたりは興奮気味に見下ろした。力技で脱出されかけ、ふたりがかりで刺股を押しつける。
「ひっ、はひ、ふ……どけ……! グェホッ、ゥホッ……どけよゴルァ……ッ!!」
ゴロゴロ……ピッシャァ……ン!
洋館の建つ道の奥に雷が落ちた。ちょうど薄目を開けたボスの視界が白く消える。
数秒の静寂。
ボスの充血した左目が、ゆらゆらと泳ぎながら外部情報を探る。洋館の2階、大窓の輪郭が血の膜を張って映った。
カーテンがうごめく。裏から現れた姿を、ボスは痛みをこらえて凝視する。
「……あ、いつ、は……」
濃厚な金色の巻き髪は、館の主人である女王を連想させる。
が、ちがう、そんなはずがない。
窓ガラスでぼやけた顔は、海を越えて産まれた経歴を物語っていた。
「33番……ひ、は、っ……新道寺、緋……!」
女王の囮に徹していた新道寺は、三角にすぼめた眼光で、地べたに寝転ぶボスを見据えた。
赤い爪をそろえ左手を掲げる。
す、と下ろすと、周囲の建物から地鳴りのような音が響き渡った。
BB弾でボスを罠にはめたホームレス軍団が、洋館に集まってきていた。
刺股で捕獲したボスに、ひとりが体当たりで伸しかかる。またひとり反対側からダイブし、次は左腕をつかみ、その次は両足に体重を乗せた。
そうして順にホームレスの人たちが積み重なった。土台のボスはもう、うんともすんとも動かせない。
「ひ、はっはふ、ぅああああっ!!」
声量で勝負しても、ホームレス軍団は耳を押さえることもしない。
声を張ったあとボスの肺がへこみ、重圧をもろに食らうはめになる。あばら骨にヒビが入った。
そんなボスの末路を見届けた新道寺は、おもむろに視線を少し遠くに送った。
「いかがだったかしら。私たちのおもてなしは」
パチン、パチン、と雨足を遠のかせる拍手が、場を支配した。
遅れて洋館に戻ってきた姫華は、まず落ち着きのないボスの黒目を覗きこむ。
「……めえ……てんめえええっ!!! ぃひっ、こんなことしてただで済むと思ってんのか!! く、ひひっ、許さねえからなっ!! すぐにぶっ殺してやる!!! ふはははっ!」
骨を折ってでもぶちまけずにはいられなかったようだ。よだれを泡立て、カチカチと上下の歯を鳴らしている。
そのうるさい口に、姫華は問答無用で銃を挿しこんだ。
「んっ、んが……!」
「おだまり」
「うっ、ははへ……んあ……!」
「何様のつもりなのかしら。その老体で何ができるというの?」
さらりと引き金を引く。中身は空。音も鳴らない。それでもボスは口を開けて固まった。
「とどめを刺すのは、娘の、私の仕事。そう思っていたわ。……けれどそうではないみたい」
雨で潤って見える姫華の眼差しが、周りを一巡する。
確保に一役買った成瀬と勇気、2階で耐え抜いた新道寺と汰壱、縁の下の力持ちだった下っ端たちとホームレス軍団。
特に成瀬と新道寺は、自分の囮という命に危険があってもおかしくない役だった。
作戦中心配していたのだが、意外にもふたりに恐怖は見受けられなかった。憑き物が落ちたような表情で姫華を見つめ返している。
(……そう……そうね……。私たちができることは、これでおしまい)
姫華は銃を下げた。薔薇色の口紅に逆さの虹を架ける。
意識を朦朧とさせたボスに、ささやきを残した。
「生かしてあげるわ。あなたが昔愉しそうに笑っていた、地獄の底で」
命の価値が堕ちるその日まで。
空が晴れていく。雲間にかき分ける月明かりが、姫華の濡れた頬を撫でた。
鉄の臭いが漂う、神雷のたまり場に、サイレンが近づいてきていた。
赤く回るパトカーランプが、辺りをこれ以上ないほど明るく照らす。谷間から射す朝日のようにまぶしかった。