Q. ―純真な刃―
刃の先


鏡に映る自分の姿に、成瀬は懐かしさに浸った。

月のない夜空ほどに黒くした髪。うなじが隠れる長さ。寝不足がたたり、メイクノリの悪い肌。

えんじ色をした裏起毛のジャケットも羽織れば、まんま高校1年生の成瀬円だ。


場所が控え室ではなく学校であったなら、もはや夢だと割り切れただろう。

ヘアメイクをしてくれたスタッフに「幼い、いや、若々しい!」と子どものように甘やかされた。




「……もう高校卒業したんすけどね」




高校1年の、あのときから、3年が経とうとしていた。

ちょっと前まで地毛の金でアパレル広告をやっていたし、長さは耳が隠れるくらいだった。髪も肌もしっかりメンテナンスをして、利央も納得の艶があった。


今日えんじ色のジャケットを着ているのは、スタイリストのスタッフが準備してくれたから。つまりは偶然。それ以上でも以外でもない……はず。

この世には偶然を優に超える事象がある。そのことを成瀬は神雷で思い知った。

だからといってこれを運命と決めつけるのは、どうしようもなく怖かった。




(……なんて、いろいろ考えちまうのはやめにしよう。このあとの仕事に障る)




あと30分ほどしたら、映画の完成披露試写会が行われる。

風都監督の最高傑作と謳われる映画【雪の精】をリメイクした作品で、その主演に選ばれたのが成瀬だった。


成瀬としては、連続ドラマ【純真な刃】ぶりに出演する映像作品だった。

世話になった風都監督にまつわる仕事があるとマネージャーから聞き、一も二もなくオーディションに応募した。

絶対に参加する! それは二代目侍としての覚悟というよりは、純粋な愛に近い激情に思えた。


映画の撮影が始まってから、初雪の降った昨日まで、よく寝つけないことが多かった。何かを予兆するみたいに胸がざわつき、わけもなく泣きたくなった。

いや、本当は、なぜかわかっている。あまり深く考えないようにしていただけで。


椅子の背もたれに体重を寄せ、携帯を操作する。

どこのニュースサイトに目を通しても、トップにあるのは同じ内容だった。

成瀬は昨晩、仕事終わりにやっていた速報でそれを知った。



『最高裁判所の決断! 人身売買主犯、極刑の判決!』



ボスの逮捕から3年。
ついに昨日、裁判が閉幕したのだ。


風都夫妻の一件は、再捜査されたものの決定的な証拠が出ず、立証は適わなかった。

しかし、飛行機墜落、二度に渡る人身売買については、被害者を代表して新道寺が証言。さらに警察による現地での裏取りによって、紅組の残党による犯行と認められた。その犯行グループのボスとして計画し制圧してきた罪は、万死に値する。


一連の事件で、神雷の存在が表立って評されることはない。どの記事でも神雷はおろか、女王・姫華の名前も秘匿されている。

すべての名声は、奇跡の申し子――新道寺と、彼の支援するホームレスたちのもの。

それが、真の立役者である女王の意志だった。




(よかった……終わった……。本当に……本当に、終わったんだ)




長い長い夢のような、現実。

今夜からよく眠れるだろうか。

……姫華はちゃんと寝られるだろうか。


3年。彼女とは会っていない。


ボスとの決着後、彼女は白園学園を無事に卒業し、神雷メンバー全員で【純真な刃】の最終回を見届け――そして、4月。王の座が、忽然と空いた。


誰も何も驚かなかった。

決戦の作戦会議中から彼女は、まだ見ぬ犠牲者がいる可能性を不安視していた。戦い終えても、彼女はずっと、自分にできることを探していたのだと思う。


彼女の育ての親ともいうべき千間には、あらかじめ話をつけていたようで、後日千間からみんなへ彼女の言伝を渡された。

今までの感謝と詫び。次代総長は全員で話し合って決めること。国内外に散布する被害の状況を、自分の目で見て回ること。

大方予想どおりの話だった。それでもみんな涙を流していた。

千間も涙目になっていた。血のつながりこそないが、本当の娘のように大事に思っていたことは、神雷にいる全員が知っている。


成瀬はふと思い出した。
ドラマを見終えたあと、彼女が最後に言った言葉を。



――あなたたちがいたから、私は進めたのよ。



あのとき、もしかしたらと思った。

だけど「待ってる」も「会いに行く」とも言わなかった。


どんな未来でも、またいつか会える。そう信じてしまっていたから。



そうして3年。人が変わるには十分な時間だ。

汰壱は白薔薇学園卒業後、アメリカに帰り、大学で研究三昧。勇気は警察学校に入り、毎日しごかれている。

新道寺は白園学園高等部で3年間生徒会に所属。春からは祖父母の経営する会社を継ぐため経済学の勉強をする。ちなみに元ホームレスの警備団とともに支援施設を計画中だ。




(俺は……俺は、どうだろう。変われてるのかな)




仕事は真剣に取り組むようになったし、周りに気を遣うようになった。人に頼らず一人で暮らすようになり、モデルの資本である身体を労わる癖もついた。

おかげでこの3年、事務所やマスコミに迷惑かけることなく、怖いくらい順風満帆に過ごせている。

相変わらずふつうとはどこかちがう気がするけれど。




(いいのかな、俺。こんなふうに変わっても)




いまだに考える。

生きていてもいいのか。
幸せになれるのか。

周りの誰かを、大事な人を、不幸にしてしまわないか。


それでも。




「成瀬さん! そろそろ出番です!」

「……はい」




成瀬はとうに暗くなった携帯画面を伏せるようにカバンの奥底に沈ませた。ネクタイを締め、控え室をあとにする。

試写会が行われる劇場内に入ると、カメラのフラッシュに迎えられた。

夕日がガラス玉で乱反射したような光の渦に、自ら身を投じる。主要キャストが一列になって登壇すると、いっそうカメラは熱を上げた。




「只今より【雪の精~イノセント~】の完成披露試写会を行います!」




マスコミ関係者が配置された前方を除き、席は招待客で埋まっている。

成瀬は司会者の進行を聞きながら、客席をゆっくり一望した。客席の中央を分裂させる通路沿いには、親しい顔ぶれが並んでいた。

一時帰国中の汰壱に、休暇中の勇気。そのほか都合が合ったかつての仲間たち。護衛を連れた新道寺と、仕事がオフの利央。それから風都夫妻の娘・由良も学校終わりに駆けつけてくれた。全員、成瀬の招待客だ。




「Wow! ミスターナルセ、サイコーです! クールです!」

「おーい、ちょっと緊張してんじゃねえのかー?」

「円さん、大丈夫! ビジュまあまあイケてるから!」

「主演おめでとうございまーす!」


「ちょ、あいつら……静かにしろっつの……!」




登壇者と司会者にぺこぺこと頭を下げると、あたたかく許された。




「成瀬さん、愛されていますね」




司会者のマイクに乗せて浮足立った言葉が羽ばたく。

成瀬は照れ臭くなって知り合いのいる列に睨みを利かせる。ほとんどが悪びれもなく両手を振っていた。ファンサだと思っているのか野郎ども。成瀬はため息をついて頬を掻いた。


ふ、と不意に笑い声が聞こえた。


カメラのシャッター音や司会の声、熱烈なファンコールが響き合っているにもかかわらず、その一音にも及ばない声がたしかな感触をもって成瀬の鼓膜をつついた。

知っている声だった。記憶がすさまじい勢いで体内をめぐっていく。

鼻の奥にふわりと薔薇の香りが広がった。


カシャッ、と一筋の光が成瀬の目に射しこんだ。

客席の右端、マスコミのいる2列奥。フラッシュが散っても絶えない輝きが、そこにあった。

成瀬は考えるよりも早く、壇上を飛び降りていた。




「な、成瀬さん!?」




ざわめく人々を置き去りにして、無我夢中で走っていく。道しるべにしていた星の元へ。




「あら」




客席の階段を数段のぼった先で、記憶に重なる声を受け取った。

端の席に凛とした姿勢で座るその人は、漆黒に彩られたタイトなミニ丈ワンピースを身にまとっていた。




「こんなところに来ていいのかしら。主演俳優の、成瀬円さん」




繊細に揺らぐ黄金の髪からほっそりとした横顔が覗く。

夢にも出ない美しさ。

芯をもった瞳が、ゆるやかに成瀬を捉える。鏡に映った姿よりもはるかに昔に戻った感覚があった。




「……ほ……本物?」

「ふふ、愚問ね」




3年ぶりの姫華だった。


髪の色も長さも顔つきも出で立ちも、別れたあのころと変わらない。

なのに、長い月日を離れて過ごした時間が、そこはかとなく醸し出されていた。

まるで棘を取った薔薇のように美しかった。




「……っ、会いたかった」




ぽつり、と成瀬の口からこぼれ落ちた。

震える涙腺をどうにか引き締めようと目をいっぱいに開く。周りの雑音はもう耳にも入っていない。

姫華はやさしく眉を下げ、小さな微笑みをつくる。




「……ええ、私もよ」




成瀬の鼻筋を透明な雫が流れた。

ぎゅうぎゅうに中身の詰まった心臓が、ドクン、ドクン、と存在を主張するように高鳴る。雫が足元に降るころには、成瀬の表情は赤く熟れていた。


今まで生きてこられたのは……幸せになる努力をしてきたのは、自分のためだけじゃない。

ずっと、彼女の隣に立ちたかった。




「俺たち、幸せになろう」




成瀬は膝をつき、彼女の手を取った。古傷だらけの手の甲を親指でそっと撫で、口づけをする。

首をわずかに起こし、彼女をうかがう。驚きながらも、ふふ、と頬を丸めていた。



誓おう。

我が女王に、忠誠を。
この世界に、幸福を。



明日は、きっと、成瀬のうれし涙を飾る新聞の一面から始まる。




end
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