Q. ―純真な刃―
つぶやいたのは、勇気の前で倒れこんでいる、学ラン姿の少年だった。
突然細道から飛び出し、突進してきた勇気とぶつかり、転んでしまったようだった。立ち上がろうにも、勇気の首筋に覗くドラゴンの頭に、今の今まで腰を抜かしていた。
が、勇気の名前を聞くやいなや、血の気の引いた少年の顔に荒々しい熱がこみあげていった。
「お前、勇気なのか」
「……」
少年は態度を一変させ、嫌悪感をあらわにした。友人らしき三人が戸惑いながら少年に手を貸し、必死になだめようとする。
「だ、大丈夫か?」
「盾突くのやめとけよ。危ねえぞ」
「早く逃げようぜ」
「怖がることねえよ。こんな奴、社会のゴミでしかねえんだから」
可燃ごみを処理するように少年の怒気は燃え上がる一方だった。学ランについた汚れを落としながら啖呵を切る言動は、ずいぶんと上からで、妙に余裕がある。
友人からしてみれば、命知らずもいいところだ。転んだとき頭でも打ったのかと、陰ながら案じていた。
それでも勇気は身動きひとつ取らない。それどころか瞳からだんだんと光が消えていく。いつもならとっくにガブガブ噛みついているのに。
「久しぶりだな、勇気」
「……」
(久しぶり……?)
あと一歩のところで成瀬の足が止まる。
地元の友だちだろうか。だから距離感のおかしないじりをしているのだろうか。
それにしては、少年の目つきには、凶器的な鋭利さがあった。
「あの噂、マジだったんだ。お前が非行に走ったって噂。どうりで連絡とれねえわけだよ」
「……」
「俺、ショックだわ~。中学のころ、俺ら一緒によく話してたのにな」
「……」
「不良とかクソくらえ、生きてる意味ねえって。なのにこのざまかよ。あ~呆れた」
「……、ハ」
重く閉ざしていた、フェイクピアスのはまる唇から、静かに吐息が漏れた。嘲笑のようでいて、むしろ少年に呆れているようでもあった。
勇気は帽子のつばを軽く持ち上げた。影を抜けた瞳には、いまだに光はない。かつてゴミを見下していたころと同じ色をしている。冬の大気のように凍てつき、根こそぎ情を削いでいる。
学ラン姿の少年は一瞬怯んだものの、強気に息巻いた。
「あ、あんなに恨んでたじゃねえかよ……!」
「……」
「周りがなんて言おうと、神雷が一番嫌いで、憎くて、全部壊れちまえって! ほざいてたくせによ!」
(……あぁ、なつかしいな)
勇気は自虐まじりにそう思うだけで、何も言い返さなかった。
言い返せないのだ。
すべて、事実だから。
平和な日常を汚す奴を、ずっと恨んでいた。嫌いだった。憎くてたまらなかった。
なのに慕われている神雷を、一番恐れていたし、忌まわしく思っていた。
いっそこの手で壊してしまいたいほどに。
「結局、お前もそっち側だったってわけだ」
気づけば、その手は、赤く汚れていた。
あれほど頑なに譲らなかった恨みつらみを放って、玉座を支えている。
人生はわからないもんだな、と笑い飛ばしたいが、そういう空気ではないことはもちろんわかっている。
「恥ずかしい奴。人生を棒に振ってる自覚ある?」
「……」
「はぁ、マジきしょすぎ」
責め立てる言葉の棘の数々は、勇気には一ミリも刺さらない。
彼とはもう、同じ土俵にいない。
中学のころはよく話したかもしれないが、今は、話すことなど何もない。
すべて覆すほどに大事なものができた。ただそれだけのこと。
あのころよりも、今のほうがずっと好きだった。生きている実感がある。
だから、いいのだ。
わかってもらわなくてもいい。
どうでもいい。
そんなことよりもここをどう切り上げるかが問題だ。否定も肯定もする気はないし、あまり大事にしたくもない。
めんどくせえなあ、となげやりに首を掻く。
すると、ずん、と肩に重みがのしかかった。
「勇気ぃ、いつまでそこにいんだよ。俺を待たせるとはいい度胸してんな」
「っ……な……なる」
うしろから全体重を預けるように肩を組んできた成瀬に、勇気の意識が乱れた。
白黒させた目に、ふっと黒曜石を彷彿させる輝きが入りこむ。角の尖ったままの輝き方に、勇気の口からたどたどしく「ボス」の二文字が滑り落ちた。
演技スイッチがオンの成瀬は、飄々とした眼差しで正面の学ランを舐めた。
「ん? こいつ何。知り合い?」
「え……いや」
「ちょっと殺しとく?」
携帯を出すときと変わらない動作で銃を手にし、赤黒い引き金を指先で撫でる。
学ラン姿の少年はさっきまでの威勢をすっかり失い、友人たちと身を寄せ合った。
勇気だけはあっけらかんと鼻を吹かせる。首をゆるく振り、成瀬の手を下げさせる。
「ボスが手を煩わせるほどの奴じゃねえっすよ」
「あ、そ?」
「ソレしまってください。一応ここ、公共の場っすから」
「別によくね? お前さんたち口固ぇよな?」
涙目でうなずく少年たちに、成瀬は銃をポケットに忍ばせながらにんまり笑う。
「ほら」
「ほらじゃないっすよ。いつか返り討ちにされても知らねえから」
「おい誰がため口きいていいっつったよ」
「あ」
「躾が必要みてえだな。おらこっち来い」
「やーめてくださいよ」
無理やり首根っこをつかまれ、ひきずられていく勇気は、抵抗という抵抗をせず、もはや楽しそうでもある。
すれちがいざま、学ラン姿の少年たちに幽霊を見たような表情をされた。