Q. ―純真な刃―
△
「よーい、アクション!」
平べったい雲の多い夕焼け空。全体的に白濁し、明るいのに妙にダークな雰囲気を醸す。
その景色を掌中に入れた一台のカメラに、気温と同調した人影が割りこんだ。
「俺があそこにいた意味って、なんかあったのかな」
学生服を着た成瀬――ここでは“土方トシヤ”と呼ぶのが通例だろう。
この寒空の下、アウターはブレザー一枚で歩いていた。3学期の始まった西高のではなく、青を基調としたドラマオリジナルの制服である。
傍からあまり寒そうに見えないのはひとえに役者の力……と言いたいところだが、単純に背と腹と靴下にしっかりとカイロが仕込んだおかげだ。
ロング丈の黒いダウンコートで暖を取る監督の風都は、カメラに付いたモニター越しに次のセリフに目を光らせた。
「……帰ってきて、よかったのかな……?」
退廃的な町並みを漠然と眺める成瀬ことトシヤは、つい1週間前、ひょんなことから戦国の世から現代に戻ってきた。
喜ばしいことのはずなのにお世辞にもそうは見えないのは、カイロが思ったよりも熱いせいではない。
崩れ落ちた瓦礫の破片を、雑念とともに蹴飛ばした。空き家の塀に跳ね返り、ころころとうしろへ通り過ぎていく。何とはなしに目で追うと、破片が誰かの足にこつんとぶつかった。
うしろにいたのは、見知った利央の顔だ。
「え? えっ、ま、マナ……っ」
斎藤マナブ。ともに新選組を復興させた友の名を呼びかけ、はたと思いとどまる。
顔も背丈も、髪の長さまでマナブそのものだけれど、ダークチョコレートみたいに暗かった髪色はキャラメルがかった甘さがあり、服装は制服といえば制服だけれど、新選組の隊服ではなくトシヤと同じ学校のものだった。しかもスカート。女子用の学生服だ。
「マナブ、じゃ、ない……。あんたはいったい……」
「土方トシヤさん、ですね?」
トーンの高い声音に逆にフルネームを言い当てられ、警戒心が高まり――カット! カメラの前でカチンコが鳴った。修羅場でも始まりそうだった空気感が、カッと雲散した。
「ねえねえ円さん見てー。かわちーっしょ?」
早速利央はいつものテンションで雑談を始める。
ヘアカラーのCM撮影に伴い色替えした髪の毛に、膝上10センチのプリーツスカートとニーハイ。のちに明かされる、マナブの祖先にあたる少女の役作りである。
大幅なイメージチェンジを本人はノリノリでこなし、あろうことか自撮りを連写している。
以前白園学園のジャンパースカートを嫌々借りた成瀬とは正反対の言動に、成瀬は宇宙外生命体と出くわしたような気持ちになる。宇宙って広い。
「ねえちゃんと見てる!?」
「もう見た」
「ねえ見てよー」
「円! 円! こっち」
「あ、監督呼んでるよ。いつものじゃない?」
「あーうん、たぶんそう」
今や恒例となった監督の呼び出しに、最近は成瀬が返事する前に周囲が道を空けて、どうぞどうぞと成瀬を見送るようになった。
いってらっしゃーい! と利央がテーマパークさながらに送り出し、監督までの一本道を律儀に進む間にスタッフがスクバを回収し、代わりにダウンコートを羽織らせる。事前に打ち合わせしたくらい手際がよく、だからロケしやすいのかと成瀬は合点がいった。いやこんなことで思い知りたくはないのだが。
「なに、監督」
「今回呼ばれた理由、わかるか?」
「どうせいつものやつでしょ」
何も感じない。
かっこいいだけ。
お前のトシヤは何者か。
再三注意されてきたことだ。
何が望みで監督は成瀬を神雷に派遣させたのか、いまだに教えてくれないが、演技面で役立ったことといえばアクションの動き程度しか思いつかない。
自分が空っぽなことを、つくづくわからせられた。
生まれつきそうだった。
――お前なんか産まなければよかった。
実の親にそこまで言わせるほどだ。よほど価値がないのだろう。
顔くらいしか取り柄はなく、レントゲンで中身を診たらきっと血も肉も骨もカスッカスで、食べてもおいしくない。
何者にもなれない出来損ない。そんなこと大昔からわかってる。わかっていたから、立ち回り方を覚えていったのだ。
「円」
渋い声が、空の内臓によく障る。
どこか浮かない顔の成瀬に、風都は目鼻立ちを飾るしわを軽く伸ばした。
「かっこよかったぞ」
「腕自慢すか」
「ちがうよ。お前がかっこよかったんだよ、円」
そのかっこいい顔が、ぽかんと腑抜けになった。
(は? 趣向を変えての慰め? ……じゃ、ねえよな。あの監督だし。え、じゃあ……)
「いい表情できるじゃないか」
風都に頭をぐりぐりと思い切り撫で回される。普段身内の話でしかほぐれない風都の顔面が、春を先取りし咲き誇っていた。
「き、及第点……?」
「バカ、100点満点だ。マジの一発OKだよ」
「今のが……?」
「ああそうさ、今の演技の感覚、忘れんなよ」
成瀬は困惑した。監督に演技を認められたのは、はじめてだった。そういえば雑誌撮影のほうでも表情を褒められた覚えがある。
いったいどんな表情して映っていただろう。
どんなセリフを、どんなふうに言っていただろう。
今までどうでもよかったことが、途端に気になり始める。心臓が飼い犬のように吠えていた。