Q. ―純真な刃―


「ところで円」

「な、なに」

「最後に美容院行ったのいつだ?」




時計回りに大きく動いていた風都の手が、突然ガシリと成瀬のつむじをつかんだ。

あっ、やべ。図星の反応をする成瀬に、風都は含み笑いしてつむじを押した。




「明日行ってこい。生え際、色落ちしてるぞ」

「今日は? さっきのシーンも撮り直し?」

「それは大丈夫。ヘアメイクの誰かが黒のマスカラとかで隠してくれてたっぽいからな。今はそれも取れかけて逆プリンバレバレ。あとでまた塗ってもらってこい」

「マスカラって髪にもいけんだ?」

「色はつくさ。髪には悪いだろうが」

「そんなんいいよ別に」

「モデルにあるまじき妥協だな。まあ、今回は大助かりだが」




成瀬は基本無頓着だが、髪の毛も例外ではない。今も髪のことなんかより、結局監督に注意されてしまった現状のほうを不服に思っている。


仕事柄、人並み以上に美容院に通ってはいる。予約はマネージャーがし、費用は事務所持ち。タダ飯ならぬタダシャワーも同義だった。

神雷のたまり場に身を置くようになってから、マネージャーによる送迎頻度やルートが変わり、連動してスケジュールにも調整がかかった。美容院の予定がなかったのはそのためだ。


視界になびく前髪を、成瀬はつまみ上げた。

黒くべた塗りされたコシのない毛を、残り火のような夕焼けにかざす。瞬く間に燃えていき、灰になった。頭皮に近い部分もこんなふうに色褪せたのだろう。

嘘はいつかバレる。この世の摂理だ。指を離せば、前髪はすぐに黒く戻った。


今朝、鏡を見たときのことを振り返ってみる。歯を磨いて顔を洗って髪を梳かして……生え際はどうなっていたっけ。ちっとも思い出せない。いつしか黒髪な自分に見慣れていた――そんなはずがないのに。

鏡を見ない日はない。だからといって興味がないことをいちいち確認はしない。黒髪じゃなかろうが、女子並みの長さだろうが、生きるのに支障はないのだから。極論、虹色でもハゲでもウェルカムであり、しいて言うなら風呂上がりが楽だと助かった。

同業の利央に知られたら確実に説教案件だ。ていうかもうされた。利央の家に泊まるときは毎回。モデルとしての意識が足りないとかなんとか。その顔でなければ炎上もんだとも言われた。反論? 特にない。自他ともに認める事実である。




(また黒染めしねえといけねえのか、めんどいな。1回じゃあんま色が入んねえんだよな。……でも、ドラマ撮影に支障があるなら、まあ、仕方ねえか)




一応、この体が売り物だ。
今日現場にいないマネージャーに、メールで美容院の予約を頼んでおいた。

その後、風都に言われたとおりヘアメイクのスタッフにメイク直しのついでに髪の応急処置をしてもらい、次の出番に控えた。

チームの連携により撮影が巻きで進んでいく。何カットか立て続けに撮り終え、監督と助監督のモニターチェックが入る。




「うん、いいね。さっきはパトカーのサイレン入っちまったけど、今回は問題なさそうだ」

「RIOくんの演技もハマってましたね! 演技未経験者に1人2役はきついと思ってましたけど……やはり風都監督は見識が高い。さすがです」

「そんなことないさ。RIOくんの実力だ」

「監督のアドバイスが適格なんですよ! それ聞いて2テイク目でバチッとキメてきましたし!」

「三度目の正直で期待超えてきたよ。彼はこれから伸びるだろうな。うれしいよ、デビュー作に関われて」

「RIOくん本番強いっすよね。だてに激戦のモデル業界で生き抜いてるだけありますわ」

「円に触発されたのもあるかもな」

「あー、たしかに。成瀬くんの演技もよかったですもんね。毎回成長していって、今日なんかちょっと泣きそうになっちゃいましたよ僕」


「Yeah,yeah,for sure! これもすべてセーイチロー殿の信頼あってこそ!」

「へえ、ドラマ撮影ってあんな感じなんだ。すっげ」



(…………ん?)




道端で水を飲んで休んでいた成瀬は、声の種類が増えたのを敏感に察知した。

風都と話していた助監督も、違和感のアンテナが立つ。


ロケ実施中の道沿いは、撮影班が占拠している。繁華街が近いものの関係者以外おらず、その関係者すら少数精鋭でそう多くはない。おかげでシリアスなシーンに専念できた。

野次馬がいない気楽さを覚えてしまった助監督は、しかし突如として聞こえてきた謎の声にぎょっと振り返る。




「き、君たちなんでここに!?」




いる、めちゃくちゃいる。
冬休み明けと思しき学生が、ざっと10名ほど。なかには白薔薇学園の制服の子もいて目を疑った。

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